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富久千代酒造 有限会社 取締役 飯盛 直喜さん



プロフィール
 昭和37年、佐賀県鹿島市生まれ。地元の小・中学校、佐賀県立鹿島高等学校、明治大学工学部へと進学し、三谷産業株式会社へ就職。昭和62年に帰郷し、講習・研修期間を経て取締役に。平成10年に『鍋島』が完成し、今年「インターナショナル・ワイン・チャレンジ2011 日本酒部門で見事最優秀賞を獲得した。
●富久千代酒造 [TEL]0954-62-3727
    「まだまだ『未完成』の『鍋島』を、これからも育てていきたい」

     9月6日、イギリス・ロンドンで開催された「インターナショナル・ワイン・チャレンジ2011」。日本酒部門で見事最優秀賞を獲得したのが、鹿島市にある富久千代酒造の「鍋島 大吟醸酒」だ。

     多良岳山系からの良質な地下水、酒米栽培に適した豊かな土壌に恵まれた古くからの酒どころ・鹿島市。江戸時代の宿場の雰囲気をたたえた土蔵造りの町並み・浜宿酒蔵通りに位置する大正末期創業の富久千代酒造は、現在3代目の直喜さんが取締役・杜氏を務めている。
    「『佐賀を代表するお酒を造りたい』との思いで、ここまでやってきました。家族や周囲の皆さんの支えがあったからこそ、素晴らしい賞を受賞することができたと思っています」
     直喜さんは佐賀県立鹿島高等学校を卒業後、明治大学工学部へ進学、卒業後は三谷産業へ就職した。ところが昭和62年8月、先代の事故を機に帰郷することに。翌年から国税庁の醸造試験所で講習生として日本酒づくりの基礎を学び、その後研修生として経験を積んだ。
    「ちょうどその頃、酒類の免許が緩和され、地元の酒店だけでなく、スーパーマーケットやディスカウントストアで販売されるようになりました。そうなると、当時300石にも満たなかった酒蔵である弊社の商品(「富久千代」や「泉錦」)は、手にとってもらえないのではないか、富久千代酒造が生き残っていくことは困難ではないか、私がなんとかしないといけないと思うようになりました」
     直喜さんは、地元の小売店の若手後継者4人と一緒に、来る日も来る日も話し合いと研究を繰り返した。消費者・売り手・造り手・それぞれの枠を取り払い、「佐賀・九州を代表する地酒」「地元の人が愛するお酒」を目指す。そこで痛感したのは新たに物を創り出すことの大変さだった。そして試行錯誤を繰り返し、平成10年4月に誕生したのが『鍋島』だった。
    「肝心の銘柄は佐賀新聞で募集しました。一般公募で決めることで、消費者を巻き込み話題になるし、そこからぐっと広がることも期待しました」
     ところが、本当に大変だったのはそれからだった。『鍋島』をデビューさせたのは良いものの、思うように売れない日々が続き、こだわったものを飲む層や市場を確立するのに大変な時間と労力がかかった。その一方で、ベースとしていた『富久千代』の売上げも下がってだんだん会社も厳しくなり、辛い時期が続いた。「今やってることを成功させないともっと大変なことになる」そう苦悩する直喜さんを支えたのは奥さんの存在だった。
    「仕事で僕が家に帰れない日もありました。そこで妻は家庭を支えていかなければいけないとの思いから、自分で会社をたちあげ、働きながら子育てと両立してくれました。妻の力がなければ『鍋島』はできなかった。その支えが『頑張ろう』という原動力になっていきましたね」
     全国新酒鑑評会で、平成15年から『鍋島』は7年連続金賞を受賞し、これが技術の高さを証明すると同時に、自信にもつながっている。
    「『鍋島』がデビューして10年ほど経ち、少しずつうまくいっているという実感がわいてきました。今では、10年間あきらめずにずっと頑張ってきたからこそ、消費者の皆さんが『鍋島』というお酒に関心を持っていただけたという気がしています。そういう意味でも今回の受賞は本当にいいタイミングでした。もし、5年前にたまたま獲ってしまっていたら、ベースがしっかりできていないところでしたから…。それでも、まだまだ目標の道半ばなので、これからどうやっていくかが大事だと思っています。まだまだ『未完成』の『鍋島』を、これからも育てていきたいと思っています」









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