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NPO法人 佐賀県徐福会 澤野 隆さん



プロフィール
  昭和16年、長崎県佐世保市生まれ。広告代理店に勤めながら、10年ほど前からボランティアで「佐賀県徐福会」の事務局長を兼務。今年6月より理事長に就任し、10月より徐福長寿館の館長を兼務する。
●佐賀市徐福長寿館 [TEL]0952-98-0696
    「『徐福伝説』を多くの佐賀の人に浸透させ、ここから世界へ発信していきたい」

     今から2200年前、日本が縄文時代から弥生時代へと変わろうとしていた頃のこと。秦(中国)の始皇帝の命で不老不死の薬を求めて日本へやってきた徐福。五穀の種子と一緒に、専門家・技術者など高度な技術を習得している男女数千人を連れて佐賀に上陸し、稲作をはじめ、日本の国つくりに深く関わる文化や技術を伝えた-そんな『徐福伝説』を佐賀で研究しているNPO法人『佐賀県徐福会』。今年6月25日に新理事長に就任したのが、澤野隆さんだ。
    「中国の正史と言われる司馬遷の『史記』には、徐福さんが不老不死の薬を求めて東の国(蓬莱の国)に旅立ったことは記されており、中国の小中学校では歴史の時間に徐福さんについて学んでいます。ところが日本では学ばない。残念ながら、未だに『伝説』でしかないのです。これを『史実』として世界に発信することが、我々『佐賀県徐福会』の目標です」
     澤野さんは昭和16年、長崎県佐世保市生まれ。本家が佐賀にあったことから、盆・正月は両親と佐賀へ墓参りなどに訪れていた。社会人になってからは商事販売部門の経験を経て、広告代理店へ転職。40数年に渡り広告営業マンとして活躍し、佐賀・福岡の両地域を統括本部長という形で任された。そして、広告の仕事で取引先だった『村岡屋』の前社長で、『佐賀県徐福会』の元理事長でもある故村岡央麻さんと出会う。
    「今から10年ほど前のことです。村岡さんと当時サガテレビの副社長だった故内藤大典さんから『佐賀県徐福会』を手伝って貰えないかと言われました。私はまだ現役で仕事をしていましたし、徐福さんのことについて正直なにも知識がなかった。ですからお断りしようと思いました。しかし、お二人がとても熱心に徐福さんについて話されるので、『彼らがこれほど夢中になる徐福さんってなんだろう』と次第に好奇心が沸いてきたのです。そして、結局『出来る範囲で』ということで事務局長を引き受けることになりました。それからというもの、徐福さんについて勉強すればするほど、自分でも驚くくらいにのめり込んでいきましたね」
     だが前述したように、徐福についての日本での認知度は決して高いものとは言えない。しかし、希望はあると澤野さんは話す。
    「金立町に徐福と恋仲にあったお辰さんをお祀りした『お辰観音』という像があります。そこに毎日お花をあげていらっしゃる方がいて、『なぜ毎日お花を?』と尋ねたことがあります。すると、先祖代々ずっとあげていて、次は若い世代に伝えていくとおっしゃったんです。ロマンがあるし、とても深い。感動しましたね。来年は日中韓合同で連続ドラマの放映も予定されていますし、これは若い世代に『徐福さん』を知ってもらうチャンスだと確信しています」
     徐福の生まれた地・連雲港市(中国)、徐福出航の地・慈渓市(中国)、徐福が立ち寄ったとされる西帰浦市(韓国)…それぞれの地で愛されている徐福。彼が国際交流の一つのきっかけを作ってくれたと言っても過言ではないだろう。
    「先日、連雲港市と慈渓市を公式訪問し、その際に現地の映像を撮ってきました。徐福さんの生まれ故郷を佐賀に紹介したいし、ゆくゆくは連雲港市、慈渓市、西帰浦市、佐賀市をルート化してPRしていきたいと考えています。それを互いの観光誘致につなげることで、徐福さんが私たちに残してくれたものを再発見できれば…。そのために私たちはまずは一人でも多くの佐賀の人に徐福さんを通してロマンを伝えていきたいですね。村岡前理事長が抱いておられた大きな夢〈徐福さんを佐賀から世界に発信すること〉の実現は、私に課せられた使命だと思っています」









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