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有限会社 馬場ボディー 代表取締役 馬場 憲治さん



プロフィール
 昭和23年、三田川町生まれ。佐賀学園高校卒業後、福岡の自動車修理工場に5年間勤め、その後「馬場ボディー」を建て独立。昭和57年、1/20サイズのエッフェル塔を建設し話題に。昭和59年に階段昇降車イスの開発で国際特許を取得、昭和61年にはスプレー画で日仏現代美術展に入選するなど、多彩な才能を発揮。平成11年にはアジアマスターズ陸上競技・男子棒高跳びの部で優勝。平成17年、ゼロ戦の復元模型を完成させる。
    「あって当たり前だと思っているものにこそ、本当の価値があるんですよ」

     田園風景に映える青いエッフェル塔で有名な、神埼の自動車整備会社「馬場ボディー」。その倉庫内に、旧日本海軍の戦闘機「ゼロ戦」の実物大模型があった。細部まで精巧に再現されたゼロ戦は、現在青森県三沢市の県立三沢航空科学館に展示されており、今年11月にはまた佐賀に戻ってくる予定だ。この巨大なゼロ戦模型を作り上げたのは、「馬場ボディー」代表の馬場憲治さん。佐賀商業高校出身のプロ野球選手・石丸進一をモデルにした映画『人間の翼』(96年公開)のロケで使われたゼロ戦の模型を、板金工としての技術を生かし鉄製で再現した。約2年の歳月をかけ生まれ変わったゼロ戦は全長10m、両翼の幅は12mという大きさで、機首に搭載された発動機によって実物さながらのエンジン音を響かせる。当時を知る見学者が思わず涙を流すほどの完成度の高さは、馬場さんの技術と情熱の賜物だ。
    「映画に携わっていた『地球市民の会』の古賀武夫会長からゼロ戦復元の依頼を受けた時、私の中に迷いはありませんでした。私の父はゼロ戦の整備工をしていたのですが、その父からゼロ戦の話と、南方戦線で亡くなった戦友たちの話をよく聞いていたんです。ゼロ戦をきちんと復元する事で、父と、国のために亡くなったみなさんの供養にもなると思いました」
     依頼を快諾した馬場さんは、父親が残した設計図をもとに、さっそくゼロ戦の復元作業にとりかかった。尺寸で書かれた設計図に悪戦苦闘しながら作業を進めていたある日、馬場さんの元をとある一団が訪れる。それは、かつてゼロ戦に命を託していた元兵士らによって結成された「ゼロ戦会」のメンバーだった。
    「ゼロ戦会のみなさんからは『本当にゼロ戦を復元する覚悟と技術があるのか!』と相当な剣幕で詰問されました。私は実際に自分の技術を見てもらうしかないと思い、その場で鉄板を加工して飛行機の部品を作って見せたんです。私の技術を認めてくれた彼らは、後日、当時の詳細な設計図を送ってくれました。その設計図がなかったら、こんなに精巧なゼロ戦は生まれていなかったでしょうね」
     ゼロ戦会メンバーから託された設計図を元に、ゼロ戦はさらに細部まで作り込まれていく。そして'05年、遂にゼロ戦は当時の姿そのままに蘇った。復元されたゼロ戦は各所で披露され、現代を生きる人々に平和への祈りを届け続けている。
          *
     エッフェル塔製作やゼロ戦の復元以外にも、「階段昇降車いす」の発明で国際特許を取ったり、得意のスプレー画でいくつもの美術賞に輝くなど、馬場さんはそのマルチな才能を多方面で発揮している。馬場さんの旺盛な創作意欲を支えているもののひとつには、生まれ育ったふるさと・佐賀の環境があった。
    「佐賀には都会にはないおいしい空気と静かな環境があります。その2つがあるからこそ、仕事や創作活動に集中できるんです。若い人の中には『佐賀には何も無い』という人もいますが、あって当たり前だと思っているものにこそ、本当の価値があるんですよ」









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