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県立佐賀東高校 サッカー部監督 蒲原 晶昭さん
  • 「今回の大会で大きく成長した生徒達がいます。日頃の練習の積み重ねと、大舞台での経験。自信を持って取り組むことが力に繋がるんだと確信しました」

      今年8月3日に行われた全国高校総体(インターハイ)サッカー準決勝。県代表の佐賀東高校は、冬の選手権を制した流経大柏を相手に善戦するも、今一歩及ばず0対2で敗れた。敗れはしたものの、県勢としては30年ぶりとなる3位入賞を果たした東高イレブンは、全国でも充分に戦える力があることを示し、県内のサッカー関係者や後輩達に希望を与えた。
      佐賀東高サッカー部を率いるのは、同部の監督として8年目を迎える蒲原晶昭監督。部員一人一人に目を向けることで個々の可能性を伸ばし、就任以来インターハイ6年連続出場、冬の全国選手権大会3年連続出場など、輝かしい実績を残してきた。
    「今年のチームの強さについてよく聞かれるんですが、特に今年だけ特別なことをしているわけではありません。今までの積み重ねが今回の結果に繋がったんだと思います。3位という成績もみなさんからは評価していただけるんですがm私たちサッカー部としてはまだまだ発展途上の段階にいます。私たちが目指すのは、見ていて面白い、自由でクリエイティブなサッカー。準決勝の流経大柏との試合も、自分たちのサッカーができている部分とできなかった部分がありました。自分たちが目指すサッカーは変えずにその質を上げ、冬の選手権でもう一度対戦することがあったら、次は東高らしいサッカーを見せたいですね」
      蒲原監督は昭和45年、川副町生まれ。中学サッカー強豪・川副中から佐賀商業に進学し、選手権でベスト8に輝く。福岡大学に進学後は、キャプテンとして総理大臣杯準優勝という成績を残した。
    「高校を卒業するとき、実業団のトヨタ自動車(現名古屋グランパスエイト)などからの誘いもあったんですが、その誘いを断って大学進学を選びました。大学卒業後はプロの道を考えたんですが、母校の佐賀商業に教育実習に行った際、恩師の下村先生(故人)と一緒にサッカー部の指導をさせていただく機会があって、その時に教師の道に強く興味を持ったんです。もし教育実習に行ってなかったら、プロの道に進んでいたかもしれませんね」
      教師として三養基高校、思斉中、川副中と転任したがなかなかサッカー部とは縁が無く、川副中に赴任後3年目でようやくサッカー部の顧問に就任。就任後4年でサッカー部を全国大会ベスト8に導き、その中心メンバーの卒業と時を同じくして、監督として佐賀東高へと転任。赴任した当時は新人戦初戦敗退だったチームは、川副中や小城中など全国を経験した生徒達を中心に成長を続け、遂にインターハイ出場を果たす。その後も蒲原監督の指導のもと成長を続けた東高サッカー部は、今年のインターハイで3位に入賞、全国にその名を知らしめた。
    「高校生は気持ちの持ちようでいくらでも変わる世代。日頃に練習を積み重ねることが大事ですから、それは絶対におろそかにしません。その上で選手一人一人に経験を積ませることによって自信を持たせ、大舞台でも十分に力を発揮できるようにしてあげる。『相手も同じ高校生だから、自分たちの力を発揮できれば、負けることはない』と生徒達には言い聞かせています。今回の大会で大きく成長した選手もたくさんいますし、自信を持って取り組むことが力に繋がるんだと確信しました。
      今回全国で3位になったことで、中学校の先生方からも『励みになった』という電話をいただきました。高校生が結果を残すことで、下の世代の少年達に希望を与える。また、その少年達が大きな舞台で力を発揮することで、逆に上の世代の私達も刺激を受ける。その相乗効果で佐賀のサッカー自体が盛り上がればいいですね」






プロフィール
 1970年、川副町生まれ。佐賀商業時代に選手権でベスト8を経験し、福岡大学進学後もサッカー部キャプテンとして、総理大臣杯準優勝に輝くなど活躍。大学卒業後は三養基高校、思斉中学校、川副中学校を経て、佐賀東高サッカー部監督に就任。夏のインターハイ6年連続、冬の選手権には3年連続で出場。8月に行われたインターハイでは3位とう成績を残した。
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