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monohanako代表 中里 花子さん
「土という素材を生かしながら、用途に柔軟性があって、日常生活で楽しめる・・・そんな焼物を作りたいですね」

 唐津バイパスから竹古場方面へと車を走らせること数分、野鳥のさえずりが耳に心地よい見借の山の中に「monohanako」はあった。笑顔で迎えてくれたのは、「monohanako」代表・中里花子さん。花子さんは展示室と作業場を兼ねたこの工房で作陶し、日本、アメリカ各地で展覧会を開くなど、陶芸家として精力的な活動を続けている。 「『monohanako』の『mono』とは焼物の『物』と英語で『単一』という意味合いを掛けて、『世界にただ一つしかないヤキモノ』という意味を込めて名付けました」  花子さんは’72年、陶芸家・中里隆氏の次女として種子島に生まれ、唐津で育った。14歳の時に九州のジュニアチャンピオンになり、アメリカ遠征のきっかけをつかむ。その後県内の公立高校へと進学するが、高校一年で再びテニス留学の為アメリカへ単身渡米する決意をする。アメリカでテニスを中心とした生活を送った後、スミス大学美術学部へと進学した。 「県立高校に進学したものの、日本の受験中心の勉強に疑問を持ち、中学時代にテニス遠征したアメリカへ行きたいと思ったんです。父も『若いうちにやりたいことをやっておいた方がいい』と賛成してくれました。アメリカの生活で感じたのは、みんな自分のアイデンティティを大切にしている、ということ。多様な人種の集まりであるアメリカでは、20代や30代でみんなが自分のアイテンティティについて考えるんです。自分にとってのアイデンティティは何か?と考えた時に、最初に思い浮かんだのはふるさと・唐津の生活・習慣に根ざした文化でした。西洋の美術は頭で考える哲学的な要素が強いのですが、日本人の美は五感で感じる、感覚的な要素が大きいんです。私自身、そんな日本の美や生活文化に回帰したいという気持ちもあって、一度日本に戻ろうと思いました」  24歳で帰国した花子さんは父、中里隆氏のもので陶芸を学び、2年半の修行の後、銀座万葉洞での親子展を皮切りとして自らの作品を発表し始めた。 「父のもので焼物の基本を学びましたが、父と全く同じ物を作るつもりはありませんでした。無理に伝統的な唐津焼を作る必要はないし、あくまで自分というフィルターを通した焼物を作りたいと思ってたんです。現在の陶芸の世界は作り手も使い手も伝統にがんじがらめにされているようなところもあって、だから普段やきものに近寄りがたいという傾向があるのではと感じることがあるんです。






プロフィール
1972年、種子島生まれ、唐津育ち。16歳で単身渡米。96年スミス大学美術学部卒業後、父、中里隆に陶芸を学ぶ。00年より再び拠点をアメリカに移し、7年間の作陶生活を経て06年、帰国。同年唐津市見借に『monohanako』設立。www.monohanako.com
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