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No.178


Profile

 1961年唐津市生まれ。大学時代にバンド「ヴォイス」を結成し、'86年「哀舞」でメジャーデビュー。バンド解散後サラリーマン生活を経て'96年福岡市に「音楽塾ヴォイス」を設立、YUI、絢香、bianco neroといったアーティストを育てる。現在もヴォイス代表として育成を続けるかたわら、音楽プロデューサーとして絢香、Soweluらのプロデュースも行う。


若者たちへの
メッセージ

『自分は負けてるな』とか、『遅れてるな』とか、ほんのちょっとでも自分の中でくすぶっているマグマのようなものがあるなら、明日からでも一歩踏み出して、自分を変えようとしてほしい。たとえ失敗をくりかえしても、小さな夢のかけらが形になって、奇跡が起こるかもしれない。みんなが諦めて、楽な方へ行こうとしている所が分岐点になる。そこで踏みとどまって、みんなとは違う独自の道を進む人にしか、夢の羅針盤は立てられないのだから


音楽塾ヴォイス代表 音楽プロデューサー
 西尾 芳彦 さん  - Yoshihiko Nishio -
「謙虚に、前向きに、自分の求める音楽を追求していく - それがヴォイスのポリシーです」

 ここ最近のJ-POP界では、20歳前後の女性シンガーソングライターの活躍がめざましい。映画「タイヨウのうた」主演という経験を経て、さらに表現者としての存在感を増したYUI。そして、等身大のポップスが同世代の女性に圧倒的な支持を受け、昨年の日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した絢香。今後の音楽シーンを牽引していくであろうこの2人の女性アーティストが、同じ音楽スクールの出身であることをご存知だろうか。そのスクールの名は「音楽塾ヴォイス」。福岡市のマンションの一室で開かれた小さな音楽塾が、今各界から熱い注目を浴びている。その音楽塾を主宰するのが、唐津市出身の音楽プロデューサー・西尾芳彦さんだ。
「光り輝く原石を見出して磨き上げ、メジャーのステージまで引き上げるのが僕の仕事です。そのためには、歌唱や演奏、作曲などのテクニックを教えることはもちろんですが、それ以上にアーティストとしての音楽に対する姿勢・考え方が大切になってくる。音楽に触れたときに感じる感動、その感動をプロとしてどう伝えるか、そのための方法論を教えることが第一なんです」。
 洋楽が好きだった姉と音楽教師だった母の影響もあり、幼少時から音楽に親しんできた西尾さん。高校時代に音楽活動を始め、福岡での大学時代にバンド「ヴォイス」を結成。大学卒業と同時に上京し、メジャーアーティストとして活動するもなかなか結果が出ず、3年でバンドは解散。それから7年半の間、サラリーマンとしての生活を送ることになる。音楽の一線からは退いた西尾さんだが、その音楽に対する情熱が消えることはなかった。
「福岡に転勤になった時、知人から『音楽スクールを手伝ってくれないか』と誘われたんです。それを期に、平日は会社、週末は音楽スクールで教えるという二足のわらじを履く生活を始めました。一年ほどそんな生活を続けた後、独立して自分の音楽スクールを立ち上げたんです。『初心を忘れないように』という思いを込めて、自分のバンド名をとって『音楽塾ヴォイス』と名付けました」。
目立つ看板も無く、宣伝広告を出すこともない小さな音楽スクールだったが、独自の音楽理論と熱意あふれる指導が口コミで評判を呼び、優秀な生徒が続々と彼の元に集まってきた。そして、福岡のストリートで歌っていたYUI、音楽仲間からの紹介を受けた絢香がヴォイスの門をくぐり、西尾さんとの運命的な出会いを果たす。
「YUIの歌を最初に聴いた時は、『変った声だな』という印象でした。他人の歌を歌っていた時は全然よくなかったけど、オリジナルを歌い出してから彼女の個性が出てきましたね。絢香の場合は、彼女は出身は大阪なんですけど、音楽仲間から紹介されて一度歌を聴いてみたんです。その時にやはり良いものを感じて、それから音楽理論等を教えているうちに、彼女もウチに通うようになったんです」。
ヴォイスから巣立ち、トップアーティストの座へと登り詰めたYUIと絢香。二人のバッグボーンには、西尾さんの音楽哲学が脈々と流れている。「日本の音楽業界にもR&Bやラップといった『流行り』があったんですが、僕は絶対にそれを追わなかった。今流行ってるモノを追いかけたら、追いついた時点で逆にそれが一番遅れたものになってしまう。1、2年で消えてしまう音楽ではなく、どの年齢層でも聴けて、時代が変っても色あせない普遍的な音楽があるはずなんですよね。ちゃんと歌詞が伝えられて、ちゃんとメロディが聴ける、やっぱり僕はそんな音楽を追求したい。謙虚に、前向きに、自分の求める音楽を追求していく−それがヴォイスのポリシーなんです」
去る2月13日、西尾さんは地元唐津市の親善大使に任命された。故郷唐津、そして佐賀県の活性化のため、西尾さんは独自の方法論を語ってくれた。
「佐賀の若い人の中でも野心や野望のある人は、佐賀にとどまらずに福岡や東京に出ていってしまう。人口の流出と共に、才能の流出も問題なんです。その流出を止めるためには、佐賀に才能を伸ばすための学校を作れば良い。佐賀にとどまる、またわざわざ来るに値する価値観を創出する。それが佐賀発のムーブメントになり、優秀な人材が佐賀に集まってくるんです。また、それと同時に、佐賀に埋もれている『金の卵』も探さないといけない。都会にはいないような、個性的な感性を持った子が必ず佐賀にもいるはずです。佐賀の学校を自分の足で回ってもいいから、そんな輝く原石を見出してあげたいですね」。

※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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