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No.164


Profile

昭和29年12月、鹿島市生まれ。能古見小・中学校を卒業後、職業訓練校(現 ポリテクセンター)に入り技術を習得。東亜工機(株)、(株)マキノを経て昭和63年4月に独立し(有)森田工作所を設立。平成9年に現在の場所に社屋を移す。


若者たちへの
メッセージ

上のスタッフの出来映え如何で下のスタッフの成長がわかります。ベテランの人ほど先頭に立って仕事をしよう!! そうすると下は自然についてきますから。それから、整理整頓をきちんとやること。作業効率のアップは時間短縮になり、それが利益にもつながります。


(有)森田工作所 代表取締役

森田 研次 さん

怒られなくなったら期待されていないということ。敢えて怒られるくらいの意気込みで仕事に臨んで努力してください。

 鹿島市街から約15分ほど車を走らせる。上り傾斜になっている道を辿っていくと、白い建物が視界に入ってくる。今回紹介する森田研次さんは、森田工作所の社長である。会社の主な業務は、産業用精密機械部品の精密加工。どんな機械をつくるときも精巧な部品がないと完成しない。その基本となる工程のひとつを担っているのが森田さんが経営するような工作所だ。工作所は県内にも点在しているが、一代で築き上げた工作所はあまり例がない。

 鹿島生まれ、鹿島育ちの森田さんは、地元の小・中学校を卒業後、佐賀職業訓練校(現佐賀ポリテクセンター)に入所し、技術を学んだ。そして東亜工機鰍ノ入社、その後産業機械設計製作のメーカーである潟}キノに入社する。そこでの森田さんは、技術担当としてだけではなく、経理や生産のセクションのことまでできるオールマイティな仕事をしていた。しかし、ある日、仕事中の事故が原因で大けがを負ってしまう。1カ月間の入院生活を送る中、突如、独立しようと決心が固まった。33歳の時だった。「元々、いつかは、自分で会社をもちたいと思っていました、それが入院中にふと沸き上がってきただけ。タイミングと勢いが大事ですね」。前の会社を惜しまれつつ退職して、3ヶ月後には、自分の会社を立ち上げた。

 それからも仕事を受けて、今でもいい信頼関係を築いているという。経営は順調に見えた。だがピンチは時折やってきた。「女房から従業員に払う給与が250万円足りないと1週間前に言われたとき。家の権利書を担保に佐賀まで借りに行きましたよ。絶対に遅らせないことを信条としていますので、このときばかりは、経理担当の妻をやかましゅう言いました。それと、2回ほどスタッフがごっそり辞めた時期がありました。納期は守らないといけないので、工場の機械に毛布をかけて近所迷惑にならないようにしてから、不眠不休で乗り切ったこともありました」。

 経営者になるとお金や人間の問題に必ずといっていいほど直面するというが、森田さんも例にもれず、資金やスタッフのことなどあらゆる問題が生じたものの、逃げることなく一つ一つクリアしてきた。「平成9年に自宅横の工場から、今の場所に移転しました。この辺りは家もな〜んもないので、音ももう気になりません(笑)」。

 民家ではなくみかん園と木々に囲まれた現在の場所には2つの作業棟と事務所が建つ。「まだまだ目標があります。会社をもっと大きくして地元鹿島に貢献していきたいと思っています。初代である自分が地盤つくりをしっかりしていれば、2代目・3代目にバトンタッチしてもきちんと継承していける。2代目でぐらつくのは、初代がしかりしていないせいだと自分は思っています」。

 一代で築き上げた誇りと努力の結果が『今』とすれば、現在を起点にさらなる発展を遂げようとする森田さんの頭の中には『未来』が広がっている。

※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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