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No.145


Profile

大正11年、愛知県生まれ。昭和19年1月に一ノ瀬清二氏と結婚、22年に長男・泰造氏が生まれる。大学卒業後フリーカメラマンとしてインドシナの戦地で活動した泰造氏は昭和48年11月、カンボジアにて消息を絶つ。清二氏とともに泰造氏の救出嘆願に奔走し、写真・書簡集『地雷を踏んだらサヨウナラ』、写真集『遥かなりわがアンコールワット』を編集。昭和57年2月、現地で泰造氏の死亡を確認。以後、2万点余りの遺されたネガを現像、整理し、『わが子 泰造よ! カンボジアの戦場に散った息子を求めて』、『一ノ瀬泰造 戦場に消えたカメラマン』、『もうみんな家に帰ろー!-26歳という写真家・一ノ瀬泰造』など数々の書籍を執筆、編集。各地での映画上映や写真展開催にも携わる。今年5月には、泰造氏の写真に言葉を添えた母子合作のフォトポエム集『一ノ瀬泰造 ぼくが愛した人と村』が刊行された。現在は写真集『これが戦場だ!』の今夏出版に向け編集中。


佐賀の若者たちへの
メッセージ

「泰造の写真展に来てくださる若い方を見ていると、皆さんキラキラした目をして一生懸命写真を見てくれている。私以上に泰造のことを理解してくださっているような気がします。日本も世界も、これからどうなっていくんだろうとも思いますが、締まるところはきちんと締まる、しっかりした若い方の姿を見ると本当にたくましく感じますね。」


書籍編集・コーディネーター

一ノ瀬 信子 さん

泰造の写真がなかったらどうなっていただろうと…。
希望も生き甲斐もない、
悲しみだけの生活だったでしょう。
写真が、泰造亡き後の私の力そのものです。

 今から31年前、戦乱のインドシナで報道写真を撮るフリーカメラマンが、当時解放戦線支配下にあったアンコールワットを目指し、その後消息を絶った。その青年の名は一ノ瀬泰造。今もなお、彼の足跡が色褪せることなく人々の脳裏に刻まれているのは、今回紹介する母信子さんの活動に拠るところが大きいのではないだろうか。武雄の閑静な住宅地の一角にある自宅に、一ノ瀬信子さんを訪ねた。息子・泰造さんの写真集『これが戦場だ!』の今夏刊行に向け、忙しい毎日だと言う。

「『これが戦場だ!』はベトナム、カンボジアでの戦争の現実と、そこに生きる人々の生活、戦地の自然の美しさを伝えた泰造の写真を集める予定です」。

 泰造さんの写真や書簡から生き生きと感じ取れる、強く揺るぎない意志、切迫した状況下でもどこかユーモアを忘れない器の大きさ、そして他者への深い慈しみ。

「周りを楽しませようとするところは小さい頃からありました。小学校の頃、転任したての担任の先生がまだクラスに慣れなくて、そこで泰造がなんかバーンと腕白な音を立てたり(笑)。なんとか空気を盛り立てようとしたみたいですね」。

「大学時代はボクサーを撮ったりしてましたけど、『実際やらないとわからない、撮れない』と自分でもジムに通って練習して、試合にも出ていました。外からじゃなく、いつも被写体の中に入りこんで写真を撮っていました。戦地でも、まず現地の人々と心が通うこと。常にそこから撮っていたようです」。

 戦地での壮絶な活動の足跡は、数々の書籍や映画でも数多く発表されている。

 泰造氏は73年11月にアンコールワットで消息を絶つ。信子さんと夫・清二さんにが泰造さんの死亡を確認できたのは82年だった。

「絶対に生きていると信じていましたが…。アンコールワットのお膝元のとても静かな場所で眠っていた泰造に会って、本当に幸せな子だったと思いましたね。荼毘に付す時に、カンボジアのギラギラ照りつける太陽と向き合って、泰造は昂然としていました。その姿に、『よく頑張ったね、お父さんもお母さんも泰ちゃんのこと誇りに思ってるからね』と」。

 深い悲しみの中で、信子さんと清二さんは泰造さんの遺した写真を焼き、世に送り続ける。「形見の写真がなかったら、どんな生活を送っていただろうと思いますね。希望もなく、生き甲斐もなく、浪々の身を嘆き続けていたでしょう。大学時代帰省した泰造が、主人が戦時中に撮った写真をどこからか見つけてきて、焼いて整理していた事がありましたが、今度は主人と私が泰造の写真を焼く番だと。時の経つのも忘れて焼き続けました。写真がそのまま私達の力で、生き甲斐でした」。

 泰造さんの魂を消すまいとのごとく、写真の焼き付け・整理・写真集や著書の編集に一心に取り組んだ夫妻。ともに力を尽くした清二さんは3年前、泰造さんのもとへ旅立った。

「『写真集はちゃんと私が出すからね』と主人を送りました。私も、写真を焼くのはもう体力的につらいことも多いんですが、ずっと思っていたフォトポエム『ぼくが愛した人と村』も先日やっと出せて、これから焼くものもまだたくさん残っているんです。向こうから二人に『母さんは来るな!』って止められてる気がしますね(笑)。『まだまだ!』って」。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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