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No.143


Profile

昭和23年4月、有田町生まれ。成蹊大学卒業後、深川製磁鰍ノ入社。販売促進部長、営業部長、常務取締役等を経て平成7年6月に代表取締役社長に就任。深川忠次の継承者として焼きものづくりに力を注ぐ。深川製磁鰍ヘ今年で創立110年。それを記念して、今年「深川忠次欧州への道、百十年」展を全国で開催する予定。


佐賀の若者たちへの
メッセージ

「陶磁器だけに言えることではなく、全てに対して『いいものを見る』ことに心がけてほしい。いいものを見る目を持つと、それだけ文化を知り、意識を高めることができる。これって、人間にとって大切なことだと思うんです。」


深川製磁(株) 代表取締役社長

深川 一太 さん

創ることは残すこと、
だから中途半端なものは許されない。
「深川はいっちょん変わらんね」が
継承者として一番うれしい言葉です。

 佐賀県の誇れる産業・窯業。中でも有田は、日本における磁器の発祥地であり、江戸時代には初期伊万里・古伊万里といった高級磁器の産地として、欧州をはじめ世界中にその名を轟かせている。そして近世、その色絵磁器の伝統に独自の工芸性を加え、『有田焼』として世界に再登場させたのが、深川製磁を設立した深川忠次氏だ。

 明治33年にはパリ万博に数々の作品を出展し、名誉賞金牌を受賞。同43年には宮内省御用達を拝命し、現在も御皇室・宮家でお使いになられる御料食器ならびに御料御陪食用御食器を謹製上納という栄誉に浴している。

 深川忠次氏の曾孫にあたる深川一太さんは、4代目取締役社長。だが、この『4代目』という表現は、必ずしも適切ではないと一太さんは言う。

「私たちの立場は2代目、3代目ではなく、常に深川忠次の作品や技術を後世に残していく『継承者』。深川製磁の器は、全て深川忠次の芸術思想を磁器に表したものであり続けなければいけないんです」。 もちろん、だからと言って、全く同じものを作っているわけではない。深川忠次の作品を原点に、時代や使う側のニーズに合わせて作り上げるのだ。

そのデザインを考えるのは、社長就任以来、一太さんの役割。現在販売している商品の8割が、一太さんの代に作り上げたものだと言う。

 形や絵付け・藍色の色など、全てに渡って何度も何度もやり直し、最終的に納得した作品の中で、さらに飽きのこないものだけを商品化する。少しでも手抜きや妥協をすることはできない。「例えば、深川ブルーと言われている紺碧の色を出すためには、通常より高い1350℃の高温で焼くんです。100℃下げると、見た目はほとんど変わらず、すごく生産性がよくなるんですが、それでは忠次が作った深川製磁ではなくなるんです。本質が変わってしまう。見る人が見れば分かるんですよね」と熱く語る。 深川忠次を敬う念と、継承者としての誇り。穏和な表情とはうらはらに頑なな意志を持つ一太さんだが、その一太さんの生き方に影響を与えたのは、日本陶磁学や東洋・西洋史の泰斗であった故・三上次男東大教授だったと言う。

 「大学時代、欧州での研修に同行させてもらう機会があり、そこでマイセンを知りました。正直、それまでは焼きものに全く興味がなかったんですが、三上教授にマイセンが有田の影響を受けていることを聞き、そこから焼きものの歴史を勉強し始めたんです。最終的に一番勉強したのはやはり深川忠次でしたが、歴史を通じて三上教授にはいろいろなことを学ばせていただきました」。
 焼きものの歴史の研究から、深川忠次の研究、そして深川忠次の継承者へ。半端の許されない厳しさの中でも、楽しみながら作品を作り続ける一太さん。完成した器を手にとって見るその眼差しには、忠次と現代のお客を結ぶ架け橋としての誇りが満ちあふれていた。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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