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No.152


Profile

昭和19年1月、長崎生まれ。生後まもなく佐賀へ。佐賀高校時代に、日本司厨士協会会長(当時)の斉藤文次郎氏の自叙伝『フライパン一代』を読み、感動。弟子入りを志願し調理師の道へ。東京田村町『フリスコ』『ホテルニューオータニ東京』『フランス料理店 赤坂シド』で修行し、帰郷後、家業の洋食店を継承。昭和51年、南部バイパスに佐賀初のフレンチレストラン『シャトー文雅』を開店。平成3年に現在地へ移転。現在、レストランハウスウエディング等も展開中。


佐賀の若者たちへの
メッセージ

「食事に対して、腹を満たす、栄養をとるというだけでなく、美しく食べるということを、毎食毎食意識してほしい。外見を美しく見せるという大義名分のために食が偏るというのは、本当に美しいものなんだろうかと、疑問に思うんです。おいしく食べて、内面的に美しくなる。それが美しい人生になるのではないでしょうか。」


シャトー文雅 代表取締役社長

田島 明武 さん

おいしい料理を食べるのは、それが目的ではなく、
心地よくなるための手段。だからこそ、味だけではなく
そのシチュエーション全てが大切なんです。

 佐賀大和インターのすぐそばにあるフランス料理店『シャトー文雅』。昭和51年、南部バイパスに開店した当時からこれまで、「カレーのおいしい店」として定着している。その人気ぶりは、佐賀のグルメ事情に詳しい人々が「文雅と言えば、やっぱりカレーよね」と口を揃えて言う程。また、近年では、隣接のクィーンズガーデンで、レストランハウスウエディングも展開し、料理を主体にしたおもてなしが、若者を中心に評判を呼んでいる。

 この店のオーナーシェフを務めるのが、文雅のカレーの生みの親でもある、田島明武さん。高校卒業後、フランス料理一筋に生きてきたこの道42年の大ベテランだ。

 「私の小さい頃から、父親がシェフを雇って『グリル文雅』という洋食屋を営んでいました。でも、高校の頃までは自分が料理人になろうなんて気は全くなかったんです」。

 そんな田島さんの心を突き動かしたのが、高校時代に読んだ日本司厨士協会会長の自叙伝『フライパン一代』だった。“腕一本、包丁一本で世界中が渡れるんだ”と、その生き方に感動し、卒業後すぐに弟子入り志願したと言う。その後、7年間の東京での修行を経て佐賀へ帰郷。成り行きで、実家の洋食屋を継ぐこととなるが、これまで学んできた“フランス料理”が、そう簡単に忘れられるわけもない。2年後、家業は姉夫婦に任せ、文雅流フランス料理の店『シャトー文雅』をオープンした。

 「佐賀では初めてのフランス料理店。草分けが苦労するのは当たり前のことでしょうが、初めはお客様が全然入らなくてね。それでも、味やコンセプトの妥協は絶対したくなかった。その打開策としてできたのが、カレーなんです。当時、カレーライスと言えば洋食屋で200円程度の食べ物だったんですが、私は800円(現在の4、5000円程度)という破格の値段。それでも、原価を考えればギリギリの設定でした」。

 “カレーはごちそう”という自身の幼少期の思いも兼ねて出したそれが、フライオニオンとレーズン入りバターライスで食べる“文雅のビーフカレー”だ。

 そして、店はたちまち“行列のできるカレー屋”となる。さらに、サラダに添えるゴマドレッシングを作ったところ、それがまたまた大評判。店で食べるだけでは飽きたらず、お客から「容器に入れて売って欲しい」との要望まであがり、商品化。実はこれが、日本で初めてできたレストランブランドのドレッシング。つまり、スーパー等で売られているさまざまなドレッシングのルーツをたどれば、ここに行き着くのだ。

 「おかげさまで、たくさんの人たちが利用していただける店になり、ここまでやってきましたが、常に店のコンセプトとしているのは、食事は、おいしいものを食べることが目的ではなく、それによって、心地よくなり、コミュニケーションがとれ、幸せな気持ちになるための一手段だということです。だから、食事のためだけに遠くまで足を運んで、店の中で待たされて食べるなんて、本当はもってのほか。だからこそ、そこまでしても『来てよかった』と思っていただく店でなければならないと思っています」。

 文雅の成長とともに生きてきた田島さんの唯一の趣味は海外旅行。観光地ではなく、気に入ったところを何度も訪ね歩くが、その先々でも料理や器、サービスに対する研究心は忘れないという。

 「42年間、料理とレストラン経営のことだけを考えて生きてきました。これからは、料理人として、人間としての総まとめの年代です。私のこれまでの仕事人生が、どこかで役に立つような、そんな生き方をしていきたいですね」。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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