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No.141


Profile

昭和3年8月、久留米生まれ。幼い頃から教諭になることを目指し、福岡県立嘉穂高等女学校卒業後、奈良の教員養成学校へ。昭和23年卒業後、体調を崩し3年静養した後、26年から中学校教諭へ。28年、教職員組合役員となり、その翌年から4年間専従執行委員。33年から現場へ復帰し、37年に佐賀高等学校通信制の数学教師に。以来、定年まで通信制の教諭を務める。現在、自らが創設した佐賀日中学院理事長。佐賀・女性も名刺を持とう会発起人。新春女性名刺交換会、佐賀県日本語スピーチコンテスト、佐賀県韓国語スピーチコンテスト等を手がける。


佐賀の若者たちへの
メッセージ

「私は、若い人たちにとっても期待しているんです。よく若い人たちが『日本人のいいところを失いつつある』と言われますが、悪い影響を受けてない人も多いんですよね。日本にはとても優れたものがたくさんあるので、世界に向け、穀然とした態度を持って欲しいです。凛とした日本人として生きていって欲しいと思います」


佐賀日中学院 理事長

鶴田 尚 さん

働きながら目的を持って勉強に来ている。
そんな通信制の生徒を、尊敬しながら教えていました。
とても幸せな教師生活でしたね。

 「小さい頃から、父と母の主従関係に不条理をおぼえ、自分の独立のため、誇りと経済的自立が得られる教職の道を選んだのです」。 56年前、19歳で旧制中学校・高等女学校教諭(数学)の免許を取得し、以来、半世紀近くにわたり教職に携わり続けている鶴田尚さん。現在、定年退職後に創設した『佐賀日中学院』の理事長として学校の運営に携わりながら、佐賀県日本語スピーチコンテストや、韓国語スピーチコンテストを主催。言葉というコミュニケーションを通して、日中交流の架け橋の一助を担っているパワフルな女性だ。

 鶴田さんの少女時代、世はまさに第二次世界大戦の渦中にあり、教育の現場は軍国主義教育一色。戦後、教諭の免許を取得した鶴田さんが初めて赴任したのは昭和26年、鳥栖の田代中学校だった。だが、現場1年目にして、半ば強制的に書かされた論文がきっかけで、28年には教職員組合員の執行役員に選出され、そのまた翌年には専従執行となり、4年間現場から離れることとなる。

「3年目で現場から退く形になってしまいましたが、人生には、流れに身を任せることも必要なんですよね。あの4年間で、全国的にも有名なストライキも経験したし、夫とも出会った。今となっては貴重な時間でしたよ」。

 その後、33年に現場復帰。そして37年に佐賀高等学校通信制の数学科担当に。ここでの教師生活が、鶴田さんにとって『教師冥利に尽きる』幸せな時間だったと言う。

 「通信制に来る生徒たちは、それぞれが、通信教育しか道がなかった事情を持っているんです。働きながら、目的を持って勉強する生徒たちは、普通の学生にはできない経験をたくさんするからか、智恵もあり、すごく魅力的でした。生徒たちを尊敬しながら教卓に立っていたんです。これ以上、教師として幸せなことはないでしょう。だから結局、定年になるまで、通信制にいたんですよね(笑)」。

 充実した日々を送るある年、長い間願望だった中国訪問の機会が訪れた。教職員の友好訪中団に加わったことが、中国語学習を始めるきっかけとなった。

 さらに、昭和50年には日中友好友の会を組織し、事務局長となる。51年には同会中国語学習班をつくり、自宅を開放して学習会を始めた。これが、佐賀日中学院の母体となったのだ。

「私の学院は、中国語と韓国語の学校ですが、私としては、アジアが一体となり、それぞれの国が毅然とした生き方をしていきたいと望んでいます。過去に様々ないきさつがありましたが、世界の模範となるような友好隣国関係を築いていきたいと思います。そしてそれは、私たち民間人の大きな事業であり任務であると信じています」。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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