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No.139


Profile

昭和23年6月、嬉野町生まれ。嬉野小学校卒業。福岡県立修猷館高校〜成城大学経済学部卒業後、昭和46年に釜a多屋別荘取締役副社長就任。昭和53年、同取締役社長就任後は、嬉野町商工会会長や全旅連青年部長などの要職を歴任。平成12年には、旅館の特別地方消費税を撤廃する運動の中心となり活躍する。平成15年全国旅館組合長就任。


佐賀の若者たちへの
メッセージ

「君たちが社会の中心になっている頃には、日本は人口減や福祉、産業など、激変の時代になります。一人一人ががんばって、輝く人生を送ってほしい…」


(株)和多屋別荘 代表取締役

小原 健史 さん

私を育んでくれた嬉野に恩返しをしたい。
旅館業、観光業がその大きな
役割を果たしてくれる。
そう確信しています。

 嬉野温泉街中心部、『まるじゅう』のマークが一際目立つ旅館『和多屋別荘』。江戸時代、島津藩本陣の定宿として利用されていた『和多屋旅館』に始まり、一世紀を超える長い時の中で、数多くの観光客を迎え、もてなしてきた。

 同旅館の創業者は、佐賀県議会議員を11期44年、県会議長を26年務めた政治家の顔を併せ持つ、小原嘉登次さん。そして、その嘉登次さんの三男で、昭和53年より二代目社長の任に就いているのが、小原健史さんだ。

「父の存在は、小さい頃からとてつもなく大きく、世間を知る程に、強くそれを感じていました」。

 子供に、そして何よりも自らに厳しい父親と、温厚でやさしい母親に育てられた小原さんは、地元の小学校を卒業後、福岡の名門校『修猷館』への入学を目指すため、福岡の中学へ進んだ。そして、そこで、もう一人の人生の師、森田譲康先生との出会いがあった。

「中学生の私に『男は男らしくあれ』『世のため、人のためになれ』という人生論を教えてくれました。その教えは、私のアイデンティティとして、今も深く胸に留めています」。

 森田先生の教えもあり、見事修猷館高校へ入ったものの、そこでの3年間はエレキバンドと映画研究会に没頭。羽を伸ばすどころか、通学もままならない状態だったと当時を振り返る。それでも、どうにか成城大学に進学。大学時代は一転、能学研究会で日本の文化、芸能に触れる4年を過ごした。

「若い頃の経験と言うのは、本当に貴重ですよね。好き勝手やったことも、厳しい稽古をしたことも、全て今の自分の糧になっているんですから」と当時を振り返る。

 大学卒業後、「帰ってこい」という父親の一言で、一流都市銀行の内定を断り、帰佐した小原さん。即、和多屋別荘の副社長として経営を担うようになった。

「目まぐるしい毎日でした。覚えることは山ほどあり、その中で旅館は毎日動いているわけですから。中でも、社長就任前後に高層棟の『和多屋タワー』を建設してからは、思うような経営ができず、心身のダメージは心療内科に通う程でした」。

 だが、不屈の精神で立ち上がり、経営スタイルを一新。和多屋別荘の施設を『水明荘』『花鳥苑』『 VILLAスポーツランド』に分け、接客やサービスの徹底した差別化を図った。また、嬉野初のテーマパーク『肥前夢街道』を建設し、地域活性化にも力を注いだ。

 バブル崩壊後、『肥前夢街道』の経営は残念ながら手を離れることとなったが、これまでの経験で不屈の精神を養ってきた小原さんは、本業を確立させることで見事、再生を果たした。

「これまで私を支えてくれたのは、お客様であり、従業員であり、妻・家族であり、そしてやはり、嬉野の町です。これからは、その全てに対する恩を返す時。生涯をかけてこの旅館業・観光業とふるさとを活性し続けることがその報いになると信じています」。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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