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No.138


Profile

昭和3年2月、福富町生まれ。18歳で家業の農業をはじめ、23歳の時にレンコン栽培を手がけ始める。半農半漁だった当時から作り続け、50歳にしてレンコンの田圃を拡大。現在、息子夫婦とともに、有機肥料を用いるなど、栽培法を試行錯誤しながら、品質のよい福富産佐賀レンコンの生産に努めている。 昭和3年2月、福富町生まれ。18歳で家業の農業をはじめ、23歳の時にレンコン栽培を手がけ始める。半農半漁だった当時から作り続け、50歳にしてレンコンの田圃を拡大。現在、息子夫婦とともに、有機肥料を用いるなど、栽培法を試行錯誤しながら、品質のよい福富産佐賀レンコンの生産に努めている。


佐賀の若者たちへの
メッセージ

「一口アドバイスとして、レンコンのおいしい食べ方を。レンコンは、節がいくつにも分かれて、だんだん1つの節が長くなっているんですが、その長さが長い方が固くて、短い方がやわらかいんですよ。だから、短い方は煮物に、固い方はキンピラなどにするとよりおいしく食べられますよ。」


レンコン農家

永松 正人 さん

レンコンは、人の努力にも増して、
干潟という、福富の自然の力が育ててくれる。
私は、毎日仕事ができる、
それで十分幸せですよ。

 『佐賀レンコン』。全国的にも知られるようになった佐賀を代表する特産品の一つで、主に、有明海沿いにある福富町・白石町・有明町の3町で作られている。干潟という肥沃な重粘質の土壌が生み出した、やわらかい肉質が特徴だ。

 佐賀レンコンの歴史は、福富町(当時の福富村)の故・小野市次さんが作り始めた大正11年にさかのぼる。戦時中は一時、食糧増産で作付けが統制されたものの、戦後の減反政策をきっかけに、多くの農家がその転換作物としてレンコンを作り始め、現在の3町の作付面積は県の約8割を占めると言う。

 「レンコンはね、7月末から翌年の5月くらいまで、ず〜っと収穫ができるんですよ。だから、毎日収穫して、選別して出荷する。これの繰り返し。かなりの重労働ですよ」とは、福富町で長年レンコンの生産を続けている永松正人さん。御歳75歳になる。

 家業であった農業を手がけるようになったのは18の時。それから数年後、その生産物の一つとしてレンコンを作り始めた。

 「当時、このあたりは半農半漁で、有明海に出てムツゴロウやあげまきを獲りながらの農作業でした。でも、片手間にできるものじゃないし、腐敗病っていうのが多かった頃でね、栽培も難しかったんですよ」。

 腐敗病とは、中心部分が褐色になるレンコンの病気で、原因はフザリウム菌という菌が空気に触れて増殖することにある。その対策として必要だったのが水。それまで、収穫時にだけ水を落としていた栽培方法が、年間を通して水を張るようになったという。そこで出てきた問題が水の確保だ。栽培に必要な水をまんべんなく全ての農家に行きわたらせるのが難しく、栽培を辞めざるを得なくなる農家も続出した。福富町では、共同の田圃で集団栽培の形をとり、それを乗り切ってきたのだそうだ。

 そんな地道な苦労を重ね、生産をレンコン一本にしぼったのが50歳になろうとする時。以来、後継者の孝吉さんとともに、有機栽培法を取り入れ、土壌の改良をしながら、品質の良いレンコンづくりを追究してきた。

 腰を痛めてからは、収穫や田圃の管理は孝吉さんに任せているという永松さん、それでも、収穫してきたレンコンを、熟練した眼力で選別するのは毎日の仕事だ。 泥の間から見え隠れするレンコンの白い肌を、手のひらでやさしく触りながら、「これが、福富のレンコン。この色白さとやわらかい食感は、干潟だからこそできる、自然の恩恵ですよ」とニッコリ。

 これからお正月に向けて、収穫は最盛期。『見通しがよい』ことから、縁起料理の材料にもよく使われ、風邪の予防にもなるレンコン。多くの人に、おいしく食べてもらうため、今日も永松家では、親子の連携プレーによるレンコンの出荷作業が続いている。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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