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No.132

Profile
1953年、佐賀市生まれ。佐賀西高等学校卒業後、佐賀大学経済学部へ。在学中、土肥春嶽先生に学ぶ。1977年、平川朴山先生に師事。卒業後、企業へ就職するも、書道の道を諦めきれず、一年後に同大学教育学部へ。佐賀工業高等学校国語科、牛津高等学校国語科を経て、佐賀北高等学校芸術コース書道科教諭へ。生徒達への指導の傍ら、自らも書道家としての活動を続け、今年4月、佐賀市文化会館イベントホールで個展を開催。

佐賀の若者たちへの
メッセージ

「最近は、年賀状の表書きなどにしても、パソコンで済ませたりする人が増えています。活字は便利で、いい面もありますが、手書きの字には、その人それぞれの『心を伝える』温かみがあります。あなたの字の持ち味を活かして、ハガキや手紙は是非、手書きで送ってほしいですね。」


書道家(佐賀北高等学校芸術コース書道科教諭)

野中 白雲(博文) さん

書道科教諭として
ここ(佐賀北高)に来ることが決まった時、
世の中の教職員の中で、多分僕が一番、
その年の人事異動を喜んだだろう。
それくらいうれしかった。
長年の夢がかなったんだからね。

 平成15年4月25日〜29日。佐賀市文化会館イベントホールで、一人の書道家の個展が開かれた。テーマは『墨華響』。独創的な約80の書の作品と、生けられた華々が互いを引き立て、まさに『響き合う』空間が、そこに作り上げられていた。

 この書道家というのが、佐賀北高等学校芸術コース書道科教諭、野中白雲(博文)さんだ。

 書道との出会いは、小学5年の時に母親に半ば強制的に入れられた書塾がきっかけ。中学まで続け、高校時代は書道部に所属した。

 「それまで、姿勢を正してきれいに書くことしか習っていませんでしたから、文化祭でろうけつ染めをやったりして、『ああ、こういう書道もあるんだな』と、別の楽しみ方を知りました」。

 そして、本格的にのめり込んだのは、大学時代。学生書道研究会に入り、土肥春嶽先生の強靱で流麗な書に出会い、生涯の師である平川朴山先生に出会ったことだった。

 朴山先生の創意あふれる作品とその理論は、野中さんがそれまで抱いていた、『書=模倣』という固定概念をうち破った。さらに、自らを表現する『作品』としての書の魅力に引き込まれた野中さんは、“趣味として片手間にするのではなく、書道一本で生活したい”という気持ちが芽生え始めた。

 だが当時、書道教諭といえばただでさえ狭き門。さらに、専攻していた経済学部からでは土台無茶な話。土肥先生からも一蹴され断念、やむなく一般企業に就職した。

 「でも、どうしても諦めることができなかった。そして、選択したのが、もう一度大学に行き、教諭の免許をとるという道でした。書道教諭の枠がなくても、国語科から、ひたすらそのチャンスを待とうと思ったんです」。

 そして4年後、無事、中学校教員養成課程国語科を卒業した野中さん。朴山先生のところに足しげく通いながら、9年間の国語教諭というステップを経て、昭和63年、現在も教鞭をとる佐賀北高等学校芸術コース書道科教諭となったのだ。

 念願の書道科教諭。しかも、県内はおろか全国でも珍しい書道専攻のクラスとあって、野中さんは、殊の外指導に意欲を燃した。赴任して5年後には主任となり、全日本高等学校書道コンクール9年連続全国一という指導実績も上げた。もちろん、仕事の合間をぬって自らも精進し、佐賀県書道展大賞、佐賀県展教育委員会賞などを受賞してきた。

 そして、人生百年とするならば、折り返し地点に立った今年、その節目として、冒頭の個展開催となったのだ。 「最近は、忙しさにかまけて、じっくり作品を作ることがなくなっていましたから、いいきっかけでした。書を通して、私自らの心の躍動や四季折々に感じる美の感動をいかに表現するかが今回の課題。それがどこまで伝わったかは、個展に来られた皆様が感じることですが、自分自身では、納得まではいかずとも、満足しています。『書』とは、まさに自分を表現する作品。これからも、生徒たちに指導しながら、自らも『自己の書』を確立し続けていきたいですね」。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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