「タウン情報さが」トップへ 株式会社西日本情報センター
849-0928
佐賀県佐賀市若楠3-1-15
TEL 0952-33-3155
FAX 0952-33-3166
月刊タウン情報さが
tjsaga.co.jp を検索 WWW を検索
トップ>佐賀の人
No.001〜050のリストへ   No.051〜100のリストへ   No.101〜150のリストへ   No.151〜のリストへ

No.120


Profile

昭和47年7月、多久市出身。中学時代からサッカーを始める。小城高校〜東洋大学経済学部へ。平成7年に轄イ賀スポーツクラブ入社。平成10年、潟Tガン鳥栖入社。5年のマネージャー経験を経て、現在運営担当。

サガン鳥栖オフィシャル・ホームページ
http://www.sagantosu.
co.jp/


20代の若者たちへ

「ストレスがたまったら、発散する場所はサッカー場。私の母親も、よく試合を見に来てくれますが、「ここへ来ると、誰にも構わないで思いっきり叫べるから気持ちがいいわ」と言っています。スタジアムで大声を張り上げれば、気分もスキッとして、きっとキレるなんてこともなくなると思いますよ。そして、その試合でチームが勝ったら、気持ちよさは倍増。ストレス発散どころか、感動すら与えてくれます。是非一度、応援に来て下さい。」


株式会社サガン鳥栖 運営担当

永井 隆幸 さん

試合に勝った瞬間、
それまでの苦労なんて吹き飛びます!
この“感動”があるから
ここまでやってこれたんです…

 平成6年のPJMフューチャーズ誘致以来、鳥栖フューチャーズ設立〜解散、そしてサガン鳥栖設立、J2参加と、ここ数年で幾多の変遷を経てきたサガン鳥栖。決して華やな道のりではなかったものの、選手たちは常に前向きに、地道に活動を続けてきた。そんなチームを、いつも影で支えているのが株式会社サガン鳥栖のスタッフたちだ。

 現在、同社でチームの運営担当をしている永井隆幸さんは、今年で入社8年目(鳥栖フューチャーズ時代、佐賀スポーツクラブでの2年間の勤務を含む)。まさに、サガン鳥栖の歴史と共に歩んできたと言っても過言ではない。

 「中学時代からサッカーを続けていたこともあり、サッカー関連の職務に就くことを希望していましたので、話が来て即入社しました。当時は、鳥栖フューチャーズが設立したばかりで、選手たちの待遇・設備共に充実した環境の中、みんなが『Jリーグ』を目指して懸命になっていたことを覚えています。私はマネージャーとして、選手の世話係、球拾いや洗濯までしていましたね。」

 鳥栖フューチャーズが解散になったのは、永井さんのマネージャーぶりが板に付いてきた、入社2年目の冬だった。市民クラブ『サガン鳥栖』としてチーム存続はできたものの、それまでの環境は一変。練習場所はおろか、ユニフォームやサッカーボールまで心配しなければならない状況に陥ってしまった。

 そんな中、永井さんらスタッフには、落ち込む余裕すら与えられなかった。入団テストや選手確保のための移籍の手配、練習場の手配など、あちこちに支援を求め、走り回る毎日だったと言う。

 「鳥栖フューチャーズからそのまま移行した選手たちはあまりの落差に戸惑ったと思います。マネージャー任せだった洗濯なども自分でしてもらうようになりましたし。でも、そんな苦渋があったからこそ、今の打たれ強く、仲間意識の強いチームになれた。環境が十分ではなくなったことも、今思えば、決してマイナスばかりではありませんでした。」

 そして今、どん底から這い上がったサガン鳥栖の目標は、当然『J1への昇格』。「鳥栖フューチャーズ時代のように、すぐそこにある目標というわけにはいかないが、これまでの努力と、前向きな姿勢があれば、決して手の届かない場所ではない」と永井さん。

 選手としてグラウンドに立つことはなくても、サッカーへの情熱、サガン鳥栖への思い入れは選手同様。

 そして、そんな永井さんのようなスタッフが影で支えているからこそ、選手たちは思いっきりプレイができるのだ。

 長い年月をかけて砂粒が砂岩(サガン)となるように、これからのサガン鳥栖はさらに力を結集し、強固なチームとして成長していくことだろう。

「TJさがの読者の皆さんからも、サガン鳥栖のコーナーを読んでいろいろおハガキを頂いて、すごくうれしく思っています。どうかこれからも多くの試合を見に来て頂いて、サガン鳥栖の成長を見守って頂きたいですね。」



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

Copyright All rights reserved. NISHINIHONINFORMATION CENTER CO.LTD.