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No.109


Profile

昭和28年、佐賀市生まれ。国立音楽大学主席で卒業。武岡鶴代賞受賞。1977年、佐賀にてリサイタルを行って以来、東京、佐賀等で数多くのリサイタルを行う。九州交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、佐賀交響楽団等多数協演。CD「植田伸子ピアノ名曲アルバム」を3巻リリース。


二十代の
若者たちへ

「20代というと、私もそうでしたが、これから自分がどうなるか分からない、とても不安定な年頃だと思うのです。私もいろいろ悩みながら、それでも毎日を一生懸命生きてきました。目標を持つことは大切だと思いますが、あまり気負わず、コツコツと努力していってください。」


ピアニスト

植田 伸子 さん

これからが本当の勉強
最近そう思うんです

 「最近は、全国のピアニストの方たちがいらして、佐賀での演奏会も珍しくないのですが、当時(昭和52年)は音楽界自体も人が少なかったから、音大を卒業したてで、名前も知られていない私でも、多くの方が聞きに来てくださって。嬉しかったというより、もう感激しましたね」。

 地元ピアニスト・植田伸子さん。国立音楽大学を卒業後、2年目にして初演奏会を開催。以来毎年、佐賀・東京・五島などでリサイタルを行なっている。今年も先日(6月17日)佐賀公演を大盛況で終えたばかりだ。

 ピアノを始めたのは4歳の頃。音楽が好きだった両親の影響を受けての、いわばオーソドックスなきっかけだった。

 「プロを目指していたわけではなかったので、レッスンはそこそこ。進むのは早かったようですが、中学1年の時、指導してくださる先生が変わってしまって、すごく厳しかったので、やめてしまったのです。単純な理由でしょう。それで、高校に入ってまた始めたのですが、その理由も単純。中学の時好きだった英語が、高校に入ったら受験色が強くなってつまらなくなってしまって。英語の方向に進まないなら、やっぱりピアノをやろうって(笑)。それでも、一生これを続けていこうなんていう気持ちはなかったのですけどね。」

 おっとりと構えながらも、ブランクがある分、大学に入ってからは努力の毎日。その努力が実となり、先生に恵まれたこともあって、首席で大学を卒業した。

 『卒業したら一人前ではない。病人がやっと退院したばかり。これから歩く練習をするんだ』。恩師の言われた言葉を胸に、帰郷してからも、日帰りで東京まで出向き、レッスンを続けた植田さん。ピアニストとして世に出、間も無く結婚。夫の理解や周りの協力もあり、子育てと両立させながら毎年のようにリサイタルを開催。日本各地をはじめ、シカゴやメキシコ等海外にも進出した。今年の公演は、例年の佐賀、五島、東京に加え、長崎と福岡でも開催、着実に活動の幅を広げている。また、リサイタルの他に、最近では、練習の合間をぬって、若い頃の植田さんのような、向上心ある若者にピアノを教えているという。

 「恩師からは『50にならないとまだまだ分からないよ』なんて言われていたのですが、50はもう目の前。女性として一通りのことを終えたからか、やっと自分の道として、本当に楽しみながらピアノが弾けるようになりました。いろいろな意味で影響を受けた恩師も3年前に他界し、教えを請う人がいなくなりましたが、これからが勉強だって、意欲は満々なんです。」



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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