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No.099


Profile

1959年、佐賀市生まれ。幼い頃から映画が好きで、高校時代から8ミリ映画を撮り始める。佐賀西高卒業後福岡大学へ進学するものの、在学中に石井聡互監督との出会いがあり、半年後には家出同然に上京。 『狂い咲きサンダーロード』(’80)をはじめ、数々の石井作品に助監督として携わる。その後、主にTVのドキュメンタリーのディレクターとして幅広く活躍。2000年に発表したスクリーンデビュー作『独立少年合唱団』は、第50回ベルリン国際映画祭コンペティション部門でアルフレート・バウアー賞を受賞。40歳の新人として期待されている。


若者たちへの
メッセージ

「若い人たちには、ぜひ自分の物語を作ってほしい。人生の中には、自分だけにしか作れない物語って絶対あるはずなんですよ。それは親も兄弟も友達も探してくれない。自分で見つけるものなんです。その探す努力をしてほしい。そして自分の物語を自分の手で作っていけば、人生も青春もすごくおもしろくなるんですから。」


映画監督

福井 統 さん

虚から実を 作りたい。
それが 『今回の映画』です。

 2000年に発表したスクリーンデビュー作『独立少年合唱団』が第50回ベルリン国際映画祭コンペティション部門において、新人監督賞にあたるアルフレート・バウアー賞を受賞。40歳の新人として注目を浴びている映画監督・緒方明さん。

 佐賀で生まれ青春時代を過ごし、学生時代は『勉強嫌いで映画好き』なラグビー少年。試験で部活が休みになるともっぱら映画館に通っていた。

 「映画監督を最初に意識したのは、高校生の頃。実家の下宿屋に住んでいた学生さんが現代の高校生についてのアンケートをとっていて、『将来何になりたいか』と聞かれた時、『将来は映画監督になりたい』って自然と口から出てきたんです。それまで考えたこともなかったのですが、それから俄然意欲が沸いてきましてね。」

 初めて映画を撮ったのは、高校3年の時。製作期間を長く持ちたいがために推薦入学で早々と福岡大学進学を決め、残りの八カ月間を『自主制作映画』に費やしたという。

 監督・緒方明の知られざる第1作―。ロケ現場となったのは県庁・お堀の周辺。同級生の女の子に出演をお願いし、これまでに観た映画のシーンを思い出しながら八ミリカメラを回した。

 「あれはね、とても作品なんて言えない!(笑)もう、恥ずかしくって観れない、第1作じゃなく0作だね。…でも、不思議なことに、今自分が『佐賀』と言われてイメージするのは、あの時のお堀の景色なんだよねぇ。」

 大学進学後、自主映画上映団体の集まりを通じて石井聡互監督に出会った緒方さん、監督に魅かれ、家出同然に上京。キャンパスライフはわずか半年、授業に出たのは3回こっきりだった。

 石井監督と住居を共にしながらの映画制作。助監督という立派な肩書きはもらったものの、6畳1間に男二人の生活。スタッフはほとんどおらず、お金が入ると食べるよりまず撮影機材費に充てる。エキストラを集めるために夜中暴走族の集会に行ったこともあったと言う。  上京を後悔し、「帰りたい」と嘆く毎日。ところが、いざ完成した作品は、自主映画では異例の大ヒット。大手メジャー会社に配給されて、劇場公開作品にまでなった。この時代の映画ファンなら誰もが知っている『狂い咲きサンダーロード』(’80)がそれだ。

 その後、石井作品の助監督を務めながら、自主制作映画『東京白菜関K者』を監督。ぴあフィルムフェスティバルに入選し、大島渚監督や長谷川和彦監督からも支持を受けた。

 そのまま監督街道まっしぐらかと思いきや、映画からテレビへと活動フィールドを転向。CM、企業PRなどを経て、ドキュメント番組に携わるようになった緒方さんはそこで『自分を表現する方法』を見つけたという。

 「今思えば、20代の頃はただ映画監督になるために映画を撮っていたような気がします。ドキュメンタリーでいろいろな地に行き、取材をする度に、自分のやりたかったことはこれだという、確たるものが出てきました。映像を通じて自分を表現することを知ったんです。助監督時代も学ぶものは多かったのですが、自分の血となり肉となったのは、30代で得たものの方が多かったですね。」

 今回、スクリーンデビューとなった『独立少年合唱団』も、その延長上にあるという。 「ドキュメントというのは、実から虚を作る世界だと思うのです。今回の映画は逆に虚から実を作りたくなったんです。フィクションから真実を見つけたかったんです。ドキュメント取材で得た自分の歴史観から、私が作った70年代、私が作った少年を発信してみたかった。ベルリンでは、そんな私の気持ちが世界中の人たちに分かってもらえたのかなと思い、うれしかったですね。」



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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