|
県内の大きなイベントのイメージソングやサポートソングを多く手がける木原慶吾さん。エフエム佐賀やNBCラジオのパーソナリティでもおなじみで、佐賀の音楽好きの若者の間で、知らない人はいないといっても過言ではない、県内きってのミュージシャンだ。1960年代、ベンチャーズやビートルズが流行り出した時代に青春を過ごした木原さん、学生の頃はそんな世間の流れに乗るように音楽を愛し、バンドを組んでいたという。
「GSが流行り出したと言っても、各高校にバンドが1つあるかないかで、『エレキ=不良』というイメージが強かった時代。でも、その頃はただ楽しんでいるだけで、音楽で生計を立てようとか、そういったことは考えてもいませんでした。」
高校卒業後、東京の専門学校へ進んだ木原さん、1年後、放送芸術学部に所属した中で知り合った仲間に触発され、本格的に音楽をやるようになったという。バンドを組んで新宿や六本木を渡り歩き、数年後、東京で活動していたバンド、SPIRITSのボーカルとして活動するように。米軍キャンプなどを回って演奏し、昭和53年にはレコードデビューを果たした。
時はピンクレディの全盛期。他に矢沢永吉の『時間よとまれ』やサーカスの『ミスターサマータイム』など今でもCMに使われる程のヒット曲が出ていたが、そんな中でも北海道のヒットチャートで5週連続1位をとるなど、かなりの人気ぶりだったという。(九州であまり放送されなかったのが残念だ)そんな順風満帆な芸能活動だったが、1年足らずでバンドは解散。理由は自分たちのスタイルを大切にしたかったから、そして、自分たちの将来に限界を感じたからだった。
「今思うと、あの時スパッとやめたからこそ、未だに音楽活動ができているんだなと思います。そのまま東京でバンドを続けていたら、売れなくなり、挫折して、好きなことさえできなくなってしまっていたと思いますから。」
佐賀に帰ってきてからの木原さんは、「木原慶吾&スピリッツ」を再結成。バンド活動を始め、スピリッツの仲間とともに現在の会社を立ち上げた。家庭を持ち、子供が産まれていた当時、生活のことも考えなければならない。そこで「生活のためにできること」ではなく「好きな音楽を使って生活をする方法」を考えた。それが今の地元に密着した音楽活動の原点だ。
「私の音楽は基本的にはロックなんですが、『こうじゃなければならない』という概念があまりなかったので、自然に順応できたんだと思います。歌も、作詞も人よりちょっと上手いだけ。個性がないのがボクの個性なんです。秀でてはいないが、オールマイティにこなす。東京では中途半端で器用貧乏なのでしょうが、佐賀ではそんな私の個性が受け入れられた。土地に合っていたんでしょうね。」
木原慶吾の歌は、ロックでもなく、演歌でもない、まさにSAGANSONGなのだ。
|