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No.086


Profile

昭和4年有田町生まれ。戦後、本格的に作陶活動に入る。12代酒井田柿右衛門氏に師事し、ろくろ成形の修業を重ね、造形の美を追究するように。昭和54年、現代の名工として労働大臣表彰、昭和62年、日本伝統工芸展文部大臣賞受賞。その後、数々の入選、受賞をし、平成7年に、その卓越した技が国の重要無形文化財(人間国宝)に認定される。日本工芸会参与。


有田陶器市開催に
よせて

有田陶器市には全国から百万人近い方が訪れてくださいます。期間中は有田の町がとても賑やかになり、活気にあふれます。それはとてもありがたいことですが、来ていただいた人に「なるほど、有田っていいところだな。普段の日も来てゆっくり回ってみたいな」と思わせる環境づくりをしていかなければいけないなと思います。そして、陶芸家には、何よりそう思っていただけるような作品を作ってほしいと思います。


井上萬二窯

井上 萬二 さん

「これでいい」はない
納得のいくものは終生追究

 人間国宝・井上萬二さん。焼物にちょっと詳しい人なら誰もが知っている有田焼ろくろ成形の第一人者。その作品は、どれも見事な曲線がやわらかな光を放ち、白磁をさらに幻想的に魅せてくれる。

 有田に生まれた井上さんは、父親が窯元だったこともあり、幼い頃から焼き物に密着した環境の中で育ってきた。だが、第二次世界大戦が始まり、窯は閉鎖。井上さんも学徒海軍の予科練に行き、パイロットの養成を受けたと言う。終戦後、「一度煙を閉ざしたから」と、父親から窯元としての道を託された井上さん。食を楽しむ余裕などない戦後の不況下において、陶芸を始めるなど到底稀なこと。だが、井上さんは「平和になったら焼きものの文化が必ず来る」という希望を胸に柿右衛門窯に入門した。10年間無給で修業、その後佐賀県の窯業試験場に13年間勤務し、陶芸の技術を身につけていった。

 給料をもらうこともなくひたすら勉強し続けた井上さんを支えてくれたのは、師ともう一人、有田白磁の基礎を築かれた故・奥川忠右衛門氏の存在だった。「技術的にも他の追随を許さない、有田でも右に出る人はいない」という井上さんの言葉からも、その畏敬の念がうかがえる。“こういう人に近づきたい”、そんな思いが井上さんを支え、開眼させ、道をそらすことなくここまで続いたのだという。

 29歳の時、佐賀県展に入選したのをきっかけに、井上さんは地方の展覧会に次々に出品。入賞、受賞を繰り返し、陶芸の足がかりを自分の力で作っていった。10年後には海外へも進出。アメリカペンシルバニア州立大学の美術学科の派遣教授となり作陶指導にあたり、その一方でアメリカの新しい、自由な美の文化を学んだという。さらに最近ではドイツ、ハンガリー、モナコなど活動を世界に広げ、個展を通じて国際交流にも力を注いでいる。

 「大きな窯元では、たくさんの人たちの技術を合わせて作品を生み出すスタイルもありますが、私のような窯では自分で作って自分で生み出さなければなりません。そこには形を生み出すセンス、それを形にする技術、体力、そして人間性。これらが相まってその人の作品が生まれてくるのです。特に、造形の美というのはその人の心が映し出されます。ですから、作陶には豊かな心を持っていなければなりません。様々な土地の文化を学びながら、自分の美のスタイルを磨き、また、生活する上でもゆとりを持つことが大切です。」

 ひたすら陶芸に専念してきた五十数年。そんな人生の中で、井上さんは60歳ぐらいが一番の盛りだと言う。技術を磨き、人間的なゆとりを持ち、体力が落ち始める前、そのピークがこの年齢なのだ。

 だが、人間国宝という貴重な存在になった今も、井上さんは毎日土をこね、作品づくりに意欲を燃やす。

  「窯からあげる瞬間はどんな作品も堪え難い喜びがあります。しかし、『これでいい』という作品は終生ありません。年齢は老いても、心はいつも挑戦、飛躍する気持ちを持っています。」



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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