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No.081


Profile

昭和25年3月、佐賀市生まれ。県立佐賀西高等学校を卒業後、福岡大学へ。昭和47年4月より芦刈中学校の事務職に就く。昭和51年、慢性腎不全のため人工透析を余儀なくされ、長い闘病生活が始まる。同じ頃、佐賀県腎臓病患者連絡協議会を発足。初代事務局長に就任。現在、芦刈小学校の事務長として働きながら、同会会長を務める。


若者たちへの
メッセージ

僕らの若い頃は学生運動が激しかったこともあり、『人間とはなんなのか』という禅問答をやっていたような気がします。昔のようにとは言いませんが、今の若い人も『生きる意味』といったことを考えてもいいのではないかと思いますね。


佐賀県腎臓病患者連絡協議会 会長

富崎 忠博 さん

生きる事への意欲。
支えは妻と娘の存在

 全国に十八万人、そして我が佐賀県にはおよそ千百人。現在、人工透析を受けている人の数だ。その中の一人、佐賀県腎臓病患者連絡協議会(以下佐腎協)の会長を務める富崎忠博さんは今年で五十歳を迎える。

 慢性腎不全。この病名が富崎さんに告げられたのは就職して間もない頃のこと。奇しくも結婚という新しい人生のスタートを切ったばかりであった。入退院を繰り返し、生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよいながら人工透析を余儀なくされたのは二十六歳の時。富崎さんは「とにかく死にたくない」という必死の思いで治療を始めたのだという。

 「透析は自分にしか分からない苦しみ。だから前向きに、ある意味脳天気に生きていかなければ耐えられないんです。楽しみながら生きていかなければ‥‥。」

 週に三回、四時間〜五時間の身体の拘束、それが永遠に続くという精神的苦痛。そのハンディを乗り越え、社会復帰をしたのは一年後。そんな富崎さんの生きる支えは、献身的に看病してくれた奥さんと、透析して二年後、奇跡的に生まれた子供の存在だったという。

  「子供はもうできないとあきらめていましたから、授かった時はうれしかった。今はもう成人になり、福祉学校に勤めていますが、まさに僕たち夫婦の宝物です。」

 透析をしながらの仕事にもかかわらず、富崎さんは勤務先の学校でバスケット部の顧問も担当。動かない体の代わりに口を使い、厳しいながらも真心を持って生徒を引っ張っていった。当時、富崎さんから指導を受けた生徒の一人は言う。

 「大変な病気を持ちながらも、それをものともせずにシゴいてくれました。厳しかったけど、先生の生きる姿勢は今も私のいい見本になっています。『心のつながりを大切に。本当の友人になれ』という先生の教えを忘れず、当時の部員はいまだに連絡を取り合っているんです。」

 また、その傍らでは透析を始めた当時に発足した佐腎協の活動も進めてきた。最近では、透析患者の通院介護支援センター「ふれあい佐賀」をスタート。ボランティアを募り、介護が必要な通院患者を車で送迎して通院を手助けし、本人や家族の負担軽減を図っている。

  「協議会が発足した目的は、我々患者自身の負担を保険によって軽減してもらうことでしたが、保険によって守られている以上、我々も社会に貢献しなければならないという思いで始めたんです。透析のネックは通院の度に家族の誰かが送迎をしなければいけないこと。四月から介護保険制度が始まりますが、やはり介護は身内だけでは大変。だから我々元気な患者と、一般のボランティアでその一助が担えればと思っています。」



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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