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No.072


Profile

昭和14年、福岡県飯塚市生まれ。熊本大学法文学部史学科卒業後、奈良県国立文化財研究所に勤務。十年後、佐賀県教育委員会に赴任し、県内の遺跡発掘や遺跡整備のプロジェクトの指揮をとる。邪馬台国九州説派。平成11年より佐賀女子短期大学文学科教授として教壇に立つ。同大学生涯学習センター長兼務。


若者たちへの
メッセージ

私は賭事(ギャンブル)には弱いのですが、仕事に対する賭け、冒険はするんです。若さの特権というのはやはり暴走するところにあると思います。そしてまた、20代は性を備えた若さですから、知性のある冒険をしてもらいたいですね。知性を磨きながら、何事にも恐れずに冒険をすることで、30代、40代の未来が構築されていくことと思います。


佐賀女子短期大学教授

高島 忠平 さん

今の人、当時の人の
「心に触れる考古学」を

 「考古学に携わる人間にとって、佐賀県ははまさに宝の山。赴任先を佐賀に選んだことは本当に運が良かった」と語るのは、佐賀県の考古学には欠かせない『ミスター吉野ヶ里』こと高島忠平さん。高校の時、軽い気持ちで郷土部に入部して以来、四十数年間を考古学に費やし、数多くの遺跡発掘を手掛けてきた。

 35年にわたる公職生活を終え、この春から佐賀女子短期大学の教授として教壇に立っている高島さん。考古学の古めかしいイメージとは正反対のさわやかな笑顔が印象的。自由な発想とフランクな話し方で、初対面の人もたちまち打ち解けてしまう不思議な魅力を持つ人物だ。先に述べたように、高島さんと考古学の出会いは高校に入学した時。たまたま通りかかった郷土部に置かれていた甕を何気なく見ていると、ヒゲ面の上級生が来て、半ば強制的に入部希望者に仕立て上げられたという。

 「部活といってもそれらしい活動はほとんどなく、ほとんど遊びの延長でした。盗掘に行って活動停止になったこともありましたし。でも、遺物をみつけるとやはり興味をもって調べていましたね。」

 卒業後、熊本大学法文学部史学科に進学。卒業後は考古学の分野では全国的にも名高い奈良県の国立文化財研究所に就職した。この研究所で専門的な知識を磨くことになるのだが、高島さんの持論『邪馬台国九州説』を説き始めたのもここにいた時。

 といっても、はじめは確固たる理論があったわけではない。所内で邪馬台国についての論争をすることとなり、九州出身の高島さんが『邪馬台国九州説』を担当。当時、有力な畿内説が世に出されたばかりで、その影響力が高まっていたこともあり、高島さんの発言は49対1という大差で否定された。「この敗北をバネに今日があると言っても過言ではない」と高島さんは言う。

 研究所生活を十年間過ごした後、念願の九州にUターン。ほかの県からの誘いもあったが、父祖の地ということもあり、佐賀県庁に赴任した。それからというもの、県内のあちこちで歴史的発見とも言うべき遺跡を次々に発見。高島さんもうれしい悲鳴をあげながら、そのプロジェクトを一つひとつ施行した。

 現在、吉野ヶ里遺跡の歴史公園整備がなされているのもその一つ。完成すると、弥生時代の生活をそのまま復元させた『本物により近いテーマパーク』になる予定なのだそう。

 今の人、そして昔の人に通じる考古学を教えていきたいと語る高島さん。高島さんのその意志と行動力で、佐賀県に新たな文化が生まれる日もそう遠くはないだろう。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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