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No.061


Profile

昭和15年2月4日、小城町生まれ。小城高校を卒業後、家業である柴田小城羊羹総本舗で4代目として羊羹づくりをするように。昭和58年に祇園川に蛍を呼び戻そうと仲間とともに小城源氏ボタル保存会を発足。以来羊羹づくりとともに蛍の増殖にも力を入れ、1年を通して蛍と付き合うように。現在、同保存会副会長、小城羊羹協同組合理事を務める。


若者たちへの
メッセージ

毎年夏には、小学生を対象に、蛍の成育を勉強するジャブジャブ体験やピカピカ教室を開催してるんです。また、地元の岩松小学校の6年生は、毎年卒業記念に蛍の幼虫を放流しているんです。小城に昔から生息する蛍、このふるさとの光景をたくさんの若い人たちに伝えて、ずっと残していきたいですね。


小城源氏ボタル保存会 副会長

柴田 昌通 さん

仲間と夢と遊び心がもたらした
蛍の再来

 桜の季節も終わり、そろそろ初夏の兆しを感じるこの季節、小城町の風物詩といえば、祇園川に舞い飛ぶ蛍の群れ。しかし、この蛍の乱舞が、一時期、祇園川から消えていたのをご存じだろうか。

 柴田昌通さんは生まれも育ちも小城町。現在、小城名物の小城羊羹を作る4代目になる。小さい頃から自然が大好き。学校から帰ると、すぐさま野原や川に出かけるやんちゃ坊主だった。

 「麦刈が始まり、藁焼きの煙がたつ季節の夕暮れになると、蛍の乱舞は日常の光景でした。自転車で祇園川の辺を走ると顔に蛍があたって痛い程。でも、昭和50年頃から様子が変わってきたんです。私たちも気づかない間に…。」

 昭和57年のある日、子供を連れて蛍を見に出かけた柴田さんは、探さなければ蛍が見つからない祇園川を見て唖然とした。原因は高度成長による生活の多様化、河川工事などの環境の変化がもたらした自然破壊。すぐさま『自分たちの幼い頃の祇園川を取り戻そう』と動いたのは、柴田さん同様小城の自然に育てられた地元の有志たち。小城源氏ボタル保存会を発足し、飼育地を敷設、環境の整備に取り組んだ。

 「何とか自然発生を助ける環境を作ろうと、地下水を引いて手造りの川をつくり、そこで蛍の飼育を始めたんです。もちろん川の清掃も。でも、環境問題に寄与するとか、義務感といった難しい考えではなく、みんな童心に帰って楽しんでやりましたね。」

 その結果は一目瞭然。翌年には驚く程の蛍が祇園川を舞うようになり、マスコミが殺到する騒ぎとなった。また、町や県などの行政も協力。祇園川の河川整備や河川敷の舗装がなされ、現在、蛍の数は最盛期で10万を超える。

 官民が一体となり、蛍の復興を実現させたことで、毎年各地からまちづくりの視察にくる人たちが絶えない町となった小城。だが、柴田さんは言う。

 「まちづくりなんてたいそうなことは考えたことないですよ。この取り組みは仲間づくりと夢づくり、そして遊び心がもたらしたもの。蛍の世話は私の趣味なんです。蛍の話を始めると我を忘れ、一番蛍を見つけたら祝杯をあげます。ゴルフ好きの人がホールインワンをとったような喜びですよ。」

 蛍のエサになる川ニナ探しや種蛍の採取、鑑賞案内や施設での出張蛍鑑賞会など、多忙ながらも、蛍と接する時の柴田さんの顔には笑みが溢れている。まるで、蛍を通して、50年前の自分の姿を懐かしんでいるかのように……。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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