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No.035


Profile

昭和34年9月、佐賀市生まれ。佐賀学園高等学校を卒業後、佐賀経理専門学校に進学。卒業後はスポーツ用品会社に2年勤めた後、県体育協会や市役所のアルバイトを経て、現在北川副小学校に事務員として勤務。日本サッカー協会公認一級審判員、97年には加えて国際サッカー連盟審判員となり、全国をとび回る多忙な生活を送る。


若者への
メッセージ

人生、いろいろなことがあると思います。でも焦らずに、決して派手でなくてもいいから自分なりに努力をしていけば、必ず何かの面で自分の道が開けてくると思います。チャンスというのは一生のうち何度もありません。そのチャンスをつかむためには、日頃の努力。努力がなければ運もないからですね。


サッカー協会 公認一級審判員

原田 秀昭 さん

審判で大切なのは 自信と体力ですね

 平成3年にJリーグが始まって以来、プロ野球とともに夜の茶の間を賑わせてくれるようになったサッカー。今年の夏には日本がワールドカップに初出場を果たし、全国にサッカーブームを巻き起こした。そんなサッカーの試合を見ていると、選手とともにひたすら走り、ジャッジをする審判員の姿がある。現在、北川副小学校の事務員をしている原田秀昭さんもその審判員の一人。Jリーグはもちろん、国際試合でも活躍する、貴重な国際サッカー審判員だ。

 我が県にそのようなメジャーな場で活躍する人物がいたということさえ驚きなのだが、実は国際審判員になれるのは日本でわずか16人。資格を取るためには、日本サッカー協会の一級審判員が大前提で、さらに試合での評価、体力、語学力などが問われる。これまでは関東・関西にしか合格者がおらず、地方ではまず可能性がないと言われていたが、97年、その壁を初めて破ったというわけだ。

 「やっと地方にも(国際サッカーの審判員になれる)チャンスがきたんだとみんな喜んでくれて、頑張ってよかったなと思いましたね。でも、Jリーグができた当時もそうだったのですが、九州からは私一人でしたので、失敗したらまた壁が厚くなるっていうプレッシャーもかなりあったのですが。」

 原田さんがサッカーを始めたのは小学5年の時。もちろん当時は審判になるなど夢にも思わない、ただプレーを楽しむサッカー少年だった。専門学校卒業後、社会人サッカーに打ち込んでいる折、指導者になるために少しでも役に立てばと思い立ち、軽い気持ちで審判員のテストを受けたのが運命の分かれ道。四級、三級と進み、二級の試験会場でのことだ。

 「日本サッカー協会の指導部に所属する上野先生が、僕のことをずっと見ていて『お前、審判員をしてみないか』と言われて。上野先生に出会っていなければ、僕の審判員の人生はありません。すごく厳しくて、今でも褒められることはありませんが、付いていって良かったなと思っています。」

 上野先生のもと、ぐんぐんと実力をつけ、世界に通じる審判員となった原田さんだが、地元佐賀への愛郷心も強く、忙しい合間にも、時間があれば中学や高校の試合の審判もしたいと願う。

 「時間さえ合えば、中体連や高総体で笛を吹いたり旗をふったりしたいなと思っているんですけど、周りの皆さんがかえって気を遣われているみたいで、なかなか声をかけてもらえないんです。ちょっと寂しいんですよ。」



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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