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No.029


Profile

昭和31年1月生まれ。生後6ヶ月で小児緑内障に。十数回手術したが8歳で失明。佐賀県立盲学校を卒業後、東京で研修を受け、24歳の時に早稲田鍼灸院を設立。1990年ホノルルマラソン完走を目指して走り始めた。96年アトランタパラリンピックで金メダルを獲得。全国盲人援護会理事も務める。


若者への
メッセージ

1500mしか走れなかった私が3km、10km、フルマラソン完走、バルセロナに参加、そして金メダルと、ここまでこれるなんてマラソンを始める時には考えたこともなかった。ここまできたのは、足下をよく見て、自分にできることを目標にしてきたからだと思います。もちろん私もこれで終わりじやない。もう世界のランナーはシドニーに向けて動いています。私もうかうかできない。次の目標は連続の金と世界記録。それに向かって突き進むのみです。


パラリンピック金メダリスト

柳川 春己 さん

人と人との絆が生んだ『金』

 96年アトランタパラリンピックフルマラソン金メダリスト、佐賀市神野東で、早稲田錨灸院を営んでいる柳川春己さん。彼がマラソンを始めたのはわずか8年前のこと。

 「同じ全盲でホノルルマラソンを2回も完走している人がいたんですよ。しかも50歳で。その人が自慢話を聞かせるもんだから『僕にもできないわけがない』と思って。体力にも自信はあったし。目が見えなくてもできる練習方法があると聞いて『じやあ次のホノルルマラソンまでやってみようか』って始めたんです。」

 一人で走る練習−それは運動場の真中に杭を打ち、20mのロープをひっかけてもう一方を腰に巻き付ける方法だった。明け方や夜の誰もいない神野小学校に出掛け、スタート地点にラジオを置き安全を確認した後走り始める。8周で1km、80周で10km…。初日は12周、つまり1500mしか走れなかったものの、地道な練習により6月に出場した初参加の大会てば見事10kmを完走することができた。

 それから半年後、ついにホノルルマラソン当日。初めての海外、初めてのフルマラソン、初体面の伴走者(それも外国人)。一番不安たったのは伴走者と言葉が道じないことだったという。視界もなく、意志の疎通もできない過酷な状況、しかし柳川さんは「やるしかない」と伴走著に全ての補助を任せ、見事完走を成し遂げたのだ。

 「あの時はもう何でもできるようなハイな気持ちになりました。でも走るのはこれでやめるつもりだったんです。ところが、ホノルルでパラりンピックの話を耳にして。初めのきっかけと同じですよ。『僕にもできないわけがない』って。ありがたくも帰国してすぐ伴走者として協力してくれる人も現れたんで、もう年が明けてからは毎日練習でした。」

 そしてその結果、2年後のバルセロナパラリンピックでは6位入賞、さらにアトランタは2時間50分56秒という全盲日本最高記録を出し、金メダルを獲得したのだ。これまでのランナー生活を振り返って柳田さんはこう語る。

 「ここまでこれたのば、妻をはじめ周りの人のおかげ。人と人との関係がなかったら絶対できなかった。自分は伴走者がないと走れない。我が事のようにして一緒に走ってくれた方には本当に感謝しています。」



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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