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No.021


Profile

本名、古賀梅子。1921年2月、北海道旭川生まれ。佐賀高等小学校卒業後、踊りの先生をしながら劇団に入り、昭和30年に筑紫美主子一座を設立。現在、県内各地でにわかの公演をしながら、サガテレビの『にわか劇場』に出演中。


二十代を
振り返って

本来ならグレてもおかしくない私の人生を、親が投げてくれた1本の綱にすがりついて間違うことなく生きてきました。親の大きな愛を受けて育つことができ、言葉で表しようのない程感謝しています。今、にわか劇場を見たご家庭で、佐賀弁を通じて親と子のコミュニケーションがとれて家庭が明るくなったという話を聞き、自分が少しでも役に立っているのかと思うと、とても嬉しいですね。


筑紫美主子一座

筑紫 美主子 さん

人の笑顔を見るのが嬉しくて。

 「テレピも芝店も、入るつもりはなかったのです。生活に困ってするしかなかったのです。」

 現在、STSの佐賀にわか劇場で巧みな変装!?と佐賀にわかで一気に佐賀県の茶の間のアィドルとなった筑紫美主子さん。だがごれまでのご自身の人生は決して順風満帆ではなかった。

 北海道の旭川で生まれた筑紫さん、父親は知らないという。人から聞いた話では北海道に亡命してさた人とか何とか。

 「でも、育ててくれた二親は非常に律儀な方で、とうとう最後まで私が本当の子ではないということは口にしませんでした。そんな親を泣かせたくなかったので、自分もそのことは口にしませんでした。」

 そんな両親に抱かれ、佐賀の地に来たのは三歳の時。父親の仕事が倒産し、貧しいながらも温かい愛に包まれ育った筑紫さん、循誘小学校を卒業後、働きながら佐賀高等小学校(現在の中学校)へ。家に帰ってからは、幼い頃に得た踊りを近所の人たちに披露して日々の粗を助けていたという。

 そんな筑紫さんが、『にわか』をするようになったのは、たまたま見に行った劇場でのハプニングがきっかけだった。当時、踊りの師匠となっていた筑紫さんは志学15歳。知り合いと一緒に席に座っていると、突然「劇団員が来ないので舞台が開かない」と踊りの助っ人と『にわか』をするように要請された。戸惑ったものの、とんぴん(=おてんばの意味)な筑紫さん、幼い頃に父親と見たにわかのストーリーを思い出しながら、見事なにわかを披露した。それからというもの、公演の度に出演、終戦後には、自らを座長としたはがくれ劇団を作った。これが現在の筑紫美主子一座の始まりだ。団員も次第に増え、佐賀県をはじめ、長崎や福岡でにわかの公演を重ね、設立40年を超える今でも顕在する。

 「今は老人ばかりの座ですけど、これからもまだよだやります。元来、兄弟もいないし生まれも違うものですから、孤独で寂しがりなのです。だから人に話をしたり、にわかをやって、人が喜んでそばに寄ってくれるのが一番嬉しいんです。」



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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