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No.017


Profile

昭和30年5月、カリフォルニア生まれ。12歳の時に日本に移住。さまざまな職歴を重ね、現在は佐賀女子短期大学講師をはじめ、英会話教室、ラジオや福岡放送やNHKなどのタレントなど多くの顔を持つ。


二十代を
振り返って

とび職、工事現場、ホストにコック、大きな貿易商社まで手当たりしだいにやりました。当時はただ冒険心でやっていたのですが、自分を知るためにはいろいろなものにチャレンジすべきですよね。妥協することなく、前向きに。


佐賀女子短期大学 講師

LYELL E LANDRY さん

やることやったので悔いはない。

 朝、テレビで元気な姿を見たかと思ったら、昼間はラジオで佐賀弁トークをぶちかます。夕方になると自営の英会話教室で子供たちに英語を教え、休日は講演会で全国を飛び回る。超多忙な日々を陽気に満喫する佐賀リガ(佐賀+アメリカ)人、ラィオ・ランドリー。

 彼が日本に来たのは12歳の時。日本に興味を示し、永住を決意した父親に連れられてのことだった。「人が小さい」「町が(魚や積物の匂いで)臭い」「生活が原始的」と日本に対する印象は最悪。おまけに当時は外国人を雇ってくれるところがなく二年近く日清のチキンラーメンの食生活が続いた。そんな逆境にも負けず、弟妹の世話をしながら独学で日本語を勉強したランドリー少年、一年後、ようやく言葉が理解できるようになった矢先、佐賀に引っ越し、またまた日本語が分からなくなってしまった。原因はもちろん強烈な佐賀弁だ。

 「自分が書いた絵に対する友達の言葉を聞きながら、一つ一つ手探りで聞き分け、覚えていったんですよ。パズルみたいでおもしろかったですね。」

 なるほど、この苦労が今の『流暢な佐賀弁』の起源というわけだ。

 さて、そんなこんなで佐賀弁を話せるようになってからは徐々に友達も増えた。勧興小の5年に編入、成章中に進み、高校は一旦東京の桜美林高校へ入学したものの、母国語を勉強しなおす意でアメリカンスクールへ。卒業後はさまざまな職を点々とする自由奔放な青春時代を過ごしていた。また、当時のランドリーさんは喧嘩も大好き!?だったという。

 「二十代までずっと『暴れん坊』って言われてましたよ。やくざや暴走族って大嫌いだったんで、見たら殴りたくなってたんで…。」

 28の時、父親が他界したのをきっかけに佐賀に戻り、英会話教室の後継者に。数年後、若い頃の彼の武勇伝を知っていたNBCラジオのプロデューサーに引き抜かれ、パーソナリティとしてデビュー。彼の個性あるしやべりはたちまち噂を呼び、現在に至っている。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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