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No.013


Profile

昭和14年1月、佐賀市生まれ。幼少の頃、体を強くするために始めたクラッシックバレエがきっかけとなり、中学でダンス部に、佐賀高校で体操部に入り、東京女子体育大学に進学。卒業後、保健体育の教諭として清和高校、佐賀女子高校で新体操を教え始める。現在、佐賀女子高等学校新体操部顧問。


20代を振り返って

自分は、選手がやれるような体型でもないし、そんなにうまくもなかったので、大学に入った時から選手になろうという気はあまりなかったんです。だから、よく遊びました。日展やタップダンスなんかを見に行ったり。練習の時も選手としてではなく、客観的に演技を見たり。今、振り返ってみてその時のことが随分役に立っているなと思いますよ。


佐賀女子高等学校保健体育教諭

光岡 三佐子 さん

私自身はずぼらなんです。

 体育館に入ると、方々で練習をしていた部員たちが一斉にこちらを向き一礼した。一人の子がスリッパを持ってきて、イスを並ベ、「寒いから」とひざかけを渡してくれた。コーチの厳しい激が飛ぶ中、指導を受ける部員の姿はみな従順、息を切らせ、汗をかきながらも笑顔で演技に励む姿に、いじらしささえ感じる。

 佐賀女子高等学校新体操部−昨年、全国大会優勝を果たした強豪校だ。その新体操部をつくり上げた人、それが今回紹介する光岡三佐子さんだ。ご自身の体操選手の現役は大学時代まで。いや、正確に言うと、大学へ進学したのも、新体操の選手としてではなく、新体操が上達する秘訣を知りたいからだった。そして、その『秘訣』を自分の後輩に教えたいというのも、当初からの目的だったという。

 ご両親が教師だったということも手伝い、何の抵抗もなく保健体育の教師になった光岡先生は、同時に新体操のコーチとして清和高校に赴任、結婚・出産で一時退職したが、昭和48年、佐賀学園高校教諭として復帰した。それから今日に至るまで同部を支え、現在60数人を抱える。

 「生徒は私の事がかなり恐いみたいですね。大会が近くなると、自分自身はずぽらなのに、選手には鬼になりますから。(笑)その時はもう、毎日が戦い。私も生徒も一瞬々々が真剣勝負ですよ。」

 光岡先生の指導は、手を出すことはないが、受ける側の部員にとっては殴られるよりもつらいという。それでも部員はがむしやらについてくる。そして精神力とともに上達する。また、卒業したOBも、光岡先生を親って同部のコーチとしてやってくる。それもミニ光岡になって。これが、同校を全国優勝に導いた大きな勝因なのだ。

 厳しくてもなぜか引き寄せられる光岡先生の魅力とは−。それは何より、直接指導を受ける部員一人ひとりが無意識に感じているであろう。新体操へ、そして自分たちへ向けられた『深い情熱』であるということを。そして自分たちもまた、そんな光岡先生の意志を受け継ぐ一貫であるということも−。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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