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No.012


Profile

昭和28年2月、唐津市生まれ。高校の時、陸上部に入部。以来、短距離選手として、国体をはじめさまざまな大会に出場。女子100m走の佐賀県記録保持者。教員になってからは陸上部顧問として活躍をみせている。


城東中学校陸上部顧問

村山 律子 さん

無限の可能性を持った子供たちを伸ばすのが、
私の役目。

 選手生命が短く、一般に『20代前半までが花』と言われる短距離走。今年44歳になる村山先生は、そんな世間の常識を打ち破り、今なお走り続ける、県内でも有名な「怪物走者」だ。

 小さい頃からわんぱくで、走ることは大の得意。男の子と鬼ごっこをして遊ぶと、追うのも逃げるのも群を抜いていたという。高校の時、先生や先輩に勧められて陸上部に入部。一年間は長距離をしていたが、体力が続かず短距離に転向した。100メートルという決められた距離をどれだけ速く走るか。小柄で瞬発力のあった村山先生にとって、短距離走はうってつけの競技だった。めきめきと力をつけ、多くの大会で上位入賞、100メートル12秒00というタイムは、未だ県の最高タイムとして残っている。しかし一見単純明快なこの競技だが、ただ単に全速力で走ればいいというものではない。わずが数秒の間に体力とともに、精神力や頭脳を必要とする。

 「走っていると、車と同じで口−、セコ、サード、トップつていうふうに、体が切り替わっていくんですね。最高速度まで上がって、最後にスッと落ちる。その最高の状態を、いかに持続させるか。その努力がおもしろいんですよ。」

 陸上一筋の学生時代を経て、佐賀市内の中学校体育教師に赴任。早々に、陸上部顧問として多くの生徒を陸上の道へと導く役割を担うようになった。

 「小学校には陸上部なんてありませんから、入部する生徒は0からのスタート。つまり、無限の可能性を秘めているのです。それを見つけ、伸ばしてやるのが私の役目。初めのうちは試行錯誤の連続で、落ち込んだり行き詰まったりすることもしぱしばでした。」

 しかし、乗りかかった船、と、自ら走ることのみならず、生徒たちを育てることにも意欲を傾け、いつの日か、日本一の生徒を誕生させることを夢みるようになった。そして、それが実現。昭栄中学校に赴任していた平成6年の事であった。一人の生徒が全日本中学陸上競技大会で女子走高跳1位を獲得、女子200メートル2位、九州内の男女総合優勝という快挙も同時に成し遂げた。この大会の報告書で、村山先生は次のようなことを書き記している。

 『入賞したから素晴らしいのではなく、これだけ頑張ってきたから素晴らしいと思う。…陸上競技は結局自分との戦いである。私は生徒たちに、その戦いを通して、自分の可能性に挑戦する素晴らしさを 味わわせるとともに、第2、第3の島内、野中を出すことを目指してグラウンドに立ち続けたいと思っている。一つの夢が叶ってすぐ次の夢を見るのは欲張りかもしれないが、私自身も挑戦の心は持ち続けたいのだ。』

 達成に満足することなく、常に前進あるのみ。その精神は、生徒だけでなく、自身に向けたものでもあった。昭和58年に結婚、翌年には長男を出産。女としては誇るべきも、陸上選手としては致命的な行為である。しかし、ここでそのまま引き下がるような「タマ」ではない。育児の合間に秘密のトレーニングを重ね、昭和60年には見事復帰、九年連続国体に参加し、現在はベテランズ大会でその駿足を披露している。その秘密のトレーニング法とは何か。

 「実は、子供の首が座り始めた頃から、子供を重石にして筋トレをしたんです。膝にくくりつけたり、放リ投げたり。もちろん、主人のいないところでね。」

 笑いながら話すが、想像してみると驚異、ここが怪物走者と言われる所以であろうか。(ちなみに、息子さんは現在、中学校の立派な長距離走者だとか。安心した)

 日本一の生徒を育て上げ、自らもなお、スプリントの道を精進し続ける。今の課題は『いつまで12秒台を持続できるか』。村山先生の陸上人生は、まだまだ「花盛り」だ。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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