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No.011


Profile

昭和22年1月、川副町生まれ。明治大学政経学部卒業後、経済連に就職。畜産課所属を機に焼鳥やたかなピラフ、鶏ごぼうピラフなど様々な加工食品を開発、現在農産加工部の次長として、佐賀経済連の発展に力をそそぐ。


JA佐賀経済連

竹下 敏晴 さん

高菜ピラフを作った時、
上部から怒られましてね。
そんな漬けもの飯が売れるか!って。

 ピラフ、唐揚げ、ハンバーグ。買物に行くと、必ず目にする冷凍食品の数々。特にここ近年は、電子レンジの普及によって、現代人にはなくてはならない食料品となっている。その一つ、誰もが口にしたことがあろう高菜ピラフ、そして鶏ごぼうピラフの発案、開発者が、今回紹介する佐賀の人、竹下敏晴さんだ。

 幼い頃からの料理好き、好奇心旺盛で研究熱心、それに加えて食い道楽。ピラフと高菜の組み合わせや、洋食の定番であるピラフを和風味にするなどの画期的な発想は、そんな竹下さんの性分があったからこその産物だ。

 現在、JA佐賀経済連が作る冷凍ピラフは、全国の約13%を占める。毎日四百俵の佐賀米がピラフとなって、全国のスーパーで売られているという。この功績を称えられ、畜産加工部の次長という職責を持つ竹下さんだが、この重責を担うまで、決して順風満帆に昇進してきたわけではない。

 「就職してからというもの、いろいろなことに口を出すものですから、どこの部署からも嫌われて(笑)。駐在員、巡回員、燃料担当に肥料担当、研修員、設計とあちこちに回されたんです。佐賀市の出向が終わった後、たまたま畜産に拾ってもらいまして。今でも覚えていますよ。その時の部長の一言を。『お前は、取り手がなかったから、俺がとってやったぞ』なんて。」

 竹下さんが畜産課に入って、初めて手がけた大仕事は、焼鳥の加工製造だった。

 「全国で養鶏が盛んになって、余ってしょうがないから、焼鳥でもしようかということで、料理好きだった私が、東京に串刺しの勉強に行き、ノウハウを全て学んできたのです。」

 努力と研究の末、できた加工物の初製品。輸入ものや冷凍ものの焼鳥が多かった当時、工場で処理した後、すぐ串にして卸すという方法で生産されたJAの焼鳥は、県内の方々で好評を得、販売も順調な伸ぴをみせた。この一つの成功から、必然性を迫られ、畜産加工部が創設、当然、竹下さんも同部任命を受けた。昭和59年、米の消費拡大を図るために、伊万里市にピラフ工場を設置、竹下さんにその管理が任された。

 「好きというだけで、何の技術も方法も知りませんでしたから、米とライン=生産に結びつくようになったのは三カ月後でした。それまで、まともに寝ることなく、設備調整に明け暮れていました。」

 度重なる工夫の末、おいしい米を作るコツをつかんだ竹下さん。佐賀県の具材と食い道楽の舌を活かし、ピラフの生産に励んだ。高菜ピラフ、鶏ごぼうピラフは、そんな中で作られた逸品だ。

 「高菜ピラフを作った時、上部から怒られましてね。そんな漬けもの飯が売れるか!って。当時、熊本の高菜飯はありましたけど、ピラフに高菜を入れるっていうのは、初めてでしたから。正直、売れてホッとしましたよ。」

 高菜ピラフのヒットに続いて、栄養バランスの良いものを、と鶏ごぼうピラフを発案。縁の下で飼っている鶏と畑でとれるゴボウ。昔ながらの日本文化を大切にし、ハイエイジを対象に作ったものが、予想に反して若者にも大人気。3年前の女子大生モニターの人気投票では1位を獲得した。

 「うちの場合、資本力や宣伝力は大手にかないませんから、生協以外は全て、販売元の大手メー力ーさんの商品として出ています。いわば下請けなんです。しかし、製造技術は大切な佐賀経済連のノウハウ。鶏ごぼうピラフは刺身にもできる新鮮な鶏と、ゴボウの削り方(あくまで削ぎごぽう)で差を付けているんです。舌触りは、どこにも負けません。」

 佐賀で生まれ育った竹下さんの自信作、佐賀産ピラフ。名こそ入っていないが、そこには、佐賀を愛する竹下さんの深い思いが込められているのだ。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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