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No.009


Profile

大正4年8月鹿島市出身。祐徳稲荷の巫女として2年間働く中で佐賀錦を習得。戦後本格的に人々に手ほどくようになり、現在佐賀錦振興協議会の会長を務める。


佐賀錦 伝統工芸士

徳島 静江 さん

一つ一つ織っていって、
模様ができあがっていく毎に、
他にはない喜びを感じますね。

 佐賀錦…、といっても、お菓子ではない。江戸時代末期から佐賀の伝統工芸の一つとして伝えられている織物のこと。金や銀、漆を使った特製の箔紙に切れ目を入れて縦糸とし、絹糸を横糸として丹念に織り上げる。絢爛豪華なこの作品を作り上げるためには、精緻な技術が必要で、製作日数もかかるため、熟練した織手が極めて少ない。

 現在、佐賀錦の振興協議会の会長を務める徳島静江さんは、その数少ない織手の一人。18歳の時、女学校を卒業後、祐徳稲荷神社の巫女として2年間を過ごした徳島さん。そこで、習字やお茶、お花とともに学んだのが佐賀錦だった。

 「精神修業の一つだったのではないかなあと思うんですよ。これは、本当に根気がいる作業だがらですね。集中して織らないとすぐに曲がってしまうんですよ。」

 織る時間は毎日わずが1時間か2時間。一日わずか数ミリずつではあったが、鮮やかな模様を自らの手で織りなしていくことに感動をおぼえ、修業を終えてからも、商売をしていた実家の会計をしながら、毎日のように織り続けたという。数年後、今の徳島の家に嫁ぎ、3人の子供を出産、第二次世界大戦が勃発したことも加算して、しばらく縦糸に手をかけることができなかった。再び始めたのは戦後しぱらくたち、周囲が落ち着いでから。県に勤めていた弟から「姉さん、正式に佐賀錦を学んだ人は数少ない。他の人にも教えてあげたらいいよ」と言われたことがきっかけだったという。

 それからの徳島さん、飛ぶ鳥を落とす勢いで各地に出向いて佐賀錦の技術を手解き、人々に錦の織りなす美しさを広めることに没頭した。佐賀市近郊をはじめ故郷の鹿島市、福岡、久留米などでも教室を開くようになった徳島さん、作品や数々の功績に対して、多くの賞を受け、テレビにも出演した。現在の天皇陛下と皇后が稽古場に来訪したこともあり、その時記念品として差し上げたというバッグの切れ端が、これまでの作品のそれと一緒に、大切にファイルされている。

 部屋の中に飾られている当時の写真。そして賞状の数々。「この賞状も、皆さんが一生懸命してくださるからもらえたんです。私の賞ではなく、皆さんの賞ですよ、これは」。賞状を見ながら当時を偲ぶ徳島さんの顔から笑みがこぽれる。

 数年前に膝を痛め、体調を崩したことをきっかけに、やむなく教室を閉じ、現在は自宅でのみ教えをほどこしているという。

 「でも二カ月に一度は娘が東京から来て教えてくれますし、嫁も上達しましたから、生徒さんたちに教えるのはほとんど若い二人に任せてるんですよ。私は自分の作品を作るぐらいで。」

 縁側に設けている織機には、織りかけの錦がぶら下がっている。リハビリの成果が出て、日常生活はできるようになったものの、正座ができず、決して丈夫な身体とはいえない。それでも、黙々と錦を織り続ける徳島さん、そこに、深い佐賀錦への愛着が秘められているのだ。

 「好きじやないとできないですよ、こんな気の長い織物は。根気強く、ぼちぼちとやらないと。でも一つ一つ織っていって、模様ができあがっていく毎に、他にはない喜びを感じますね。」



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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