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No.008


Profile

昭和23年、長崎県対馬出身。高校卒業後、明治学院大学法学部に入学。29歳の時、陶芸の道を目指し、瀬戸、備前で修行を積んだ後、唐津に定着。現在、川上清美の窯名で古唐津の道を歩み続けている。


陶芸家

川上 清美 さん

僕は、この道を29でつかんだから、
『今の若い者は…』なんて、
きついこと言えないんですよね、
自分のことを言っているみたいで。

 鏡山に登る道すがら、周りを見渡すと、青々とした秋晴れの空に、深緑の山々が映え、黄金色に光る稲茎がどことなく佐賀らしい。唐津焼をこよなく愛する陶芸家、川上清美さんが、この地に居を構えたのは10年ほど前。ごく最近までは水道もひかれていなかったという、この自然の中で、黙々と土をこね、自由奔放で豪快な作品々と世に創り出している。

 「その時の気分によって作っていますから、形はさまざま。もちろん寸法なんて図りません。かえって、同じ形にしないようにと工夫をしているぐらいです。職人として働いていた時は16に同しものを何個作れるかの競争みたいなものでしたが、自分の窯を特った今は、自分の感覚で作品が作れる。これはやはり喜ぴですね」と、顔をほころばせる。年齢からは考えられない程の肌艶と、優しい中にも一本筋の通った頑固さを思わせる目が印象的だ。

 陶芸の世界に入り、すぐに唐津の土に惚れ込んだという川上さんの生まれは、玄界灘をはさんだ対岸にある長崎県対馬。小さい頃から美術や焼物などの創作に興味を持ってはいたが、高校卒業後は、明治学院大学の、陶芸とは縁もゆかりもない法学部に入学した。その後、講談社に入社したが、仕事がしっくりいかず、父親の家業(海産物問屋)を手伝ったり、バイトをしたりと不安定な日々を過ごす期間が4年程続いたという。30までには何か一つの世界に入って自分の足固めをしたいと思っていた折、あせりと不安の中をさまよい、ようやく探しあてたものが『陶芸』の道だった。

 「小さい頃から好きなものでしたし、これならできるかもしれない、と思って始めたんです。自分は、親も嘆くほど飽きっぽい人間で、何をしても1年続かなかったんですけど、これだけは一度も飽きることがないですね。」

 四歳で見つけた陶芸の道。それは、今までの迷いを全て癒し、充実した人生を導いてくれた。修業時代には、経済的にも肉体的にもかなり苦しい生活を要されたが、川上さんにとってのそれは、決して苦ではなかったという。

 「今、そんな生活をやれと言われても嫌ですが、それまでが精神的に泥沼でしたから、修業当時の生活は楽しかったですね。」

 瀬戸、備前で修業を積み、唐津で窯を持つ念願が実現して、もうすぐ10年になる今日の生活は、まさに悠々自適。それは、素朴で落ち着いた風合いを醸し出す作風からも伺い知れるだろう。川上さんが、創作の上で大切にしていることは、自分らしさ。それは、自分に限らず、他人の作品もしかりだ。

 「弟子の作品を見る時、まずいいところを探します。いいところというのは、彼らしい線を出しているところなんですね。彼は僕とは違うから、僕のコピーではなく、違う方向で個性を伸ばしてほしいと思っています。陶芸は、ずっとやっているとうまくなるのは当然なんです。そのうまさが本物ならいいけど、ただ器用になっていくだけではつまらないでしょう。下手でもいい味を出している作品というのは魅力がありますから、ある程度の基本さえできていれば、うまい、下手ではなくて、自分を出しているものだからこそ、おもしろいんですよね。」

 展示場に並べられたぐい呑みや茶碗、とっくりなどの数々。色、形こそさまざまだが、その一つ一つが川上さんにしかだせない作品、窯名通り、「川上清美」なのだ。



※プロフィールなどの記述は「月刊タウン情報さが」掲載当時のものです。

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