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連載 第24回 佐賀の発電所から見たエネルギー資源

あなたはどう向きあいますか?
【読者の声】私はこう考えます。

 2011年3月11日の東日本大震災から3年になる。本日(3月14日)の新聞に、「川内原発を優先審査、夏までに再稼働も」とあった。 そこで、日本原子力技術協会にアクセスして現状をネットで確認した。2014年3月5日18時00分更新。原子力運転中(発電中)0基。停止中48基とある。 全国に発電所は17箇所あるが、稼働中の原子力発電所はゼロなのである。
「そうか、全く稼働していないのか…。しかし、これには深い意味が潜んでいるのだろうな」と思った。今号は、連載して24回目になる。 そこで、地元市民の考えも聞きたいと、「原発についてどう思っているのか」を投稿していただいた。
再稼働の動きに空恐ろしさを感じる

彌永信夫 大川市在住(65歳)

 結論から言えば脱原発!行政と電力会社によって作り出された『安全神話』が、福島第一原発事故によって崩されてしまった。 この現実があるにも関わらず、安全対策と使用済み核燃料の最終処分法と場所も確立されないまま再稼働の動きがあることに、空恐ろしさを感じる。
 電力会社は、コストを理由に挙げるが、使用済み核燃料の廃棄事業のコストまで考えると決して安くはならない。また、安全対策、インフラ整備、 復興費用も原価となり国民負担となってくる訳である。
 また、廃炉に向けての作業も延々として進んでいない。理由の一つとして人材難があげられる。被ばく線量の制限基準もおかしい。
(以下、西日本新聞からの情報)
「一般人の年間被ばく線量は1ミリシーベルトが限度らしい。廃炉作業者は、それを一日の作業時間が約3時間であっても、 2カ月で超えてしまい、尚且つ5年ルールで累積被ばく線量が100ミリシーベルト(…異常に高い、一般人の100倍?)になると 被ばく期間も含めて5年間は作業に従事できないとの事。
被ばくの影響を考え、不安で若年者の就業が殆どない、人材の確保が見込めない。 廃炉は30〜40年かけての事業となるが、それに向けての専門家、研究者の育成も出来ていない。 電力会社もメーカーも原子炉についての先行きが見えないので人材確保、雇用に慎重らしい…。」  原子力の推進は、国策であった筈である、であれば、廃炉、使用済み核燃料の最終処分まで電力会社まかせではなく、 国家事業、国策として推し進めるべきだと考える。
説明・議論の上、慎重に進める

吉開紹仁  佐賀市在住(42歳)

 基本的に必要ないと思います。なくても現在、電力は足りてると聞いてます。また、最近は太陽光パネルをつける住宅が増えてます。
原発を作ったり、稼働させるくらいなら各家庭に太陽光パネルを普及させ、余力の電力を海外に売るくらいあってもいいかと。
 現在、売電によって新築でもゼロ円で建てられる家が増えてきてます。電気は家で作るのが当たり前の時代が来れば劇的に原発の必要性はなくなるのでは?
原発に恩恵を受けてる企業などいろいろあってしがらみなどあり、スムーズには進まない話だと思います。
素人目には政治家が国民の意思を無視して大きな力に逆らえず、勝手に原発を再開してるように思います。

 ネットでこんな言葉を見つけました。
台湾で放映されている、原発反対のCMのセリフだそうです。

 良いものを子供に残す、悪いものは自分が受け取る、それが母親。悪いものを後世に残す、良いものは自分が受け取る、それが原発。

 必要なら期間限定の稼働もしょうがないかもしれないが、最終的にはなくすべきです。また、この問題はもっと地域住民や国民への説明や 議論があった上で慎重に進めるべきだと思います。 日本国民ひとり一人が当時者意識を持つ

平田義信 玄海町在住(51歳)

 東日本大震災から3年が経過しました。そんな中、復興が遅々として進まないと感じてい方も多いと思います。 原因は余りにも大きな災害であったこと、景気が低迷していたこと等が考えられます。それ以外の大きな要因として私が考えるのが、 政治が適切な対応が出来ていないのではないでしょうか。
 民主党政権は右往左往するだけだったと思えます。今の自民党政権も国内の経済再建を優先して、被災地復興に関しては消極的に感じます。 特に福島第一原発への対応は「臭い物には蓋をしろ」的に思えます。
 原発に関して言えば、原発政策に関して政府は何一つ明確なものが出していない気がします。原発が重要なベースロード電源と位置づけ、 今後も稼動し続けようとしています。稼動の前提条件して安全性の確保を言ってはいますが、そこに福島第一原発の反省が私には見えません。
 それどころか、安全性の明確な基準や原発の耐用年数に関して従来通りの曖昧な表現に止まっています。 特に高レベル放射性廃棄物の処理に関しては何一つ明確な方針が示されていません。

 そんな中、私の住む玄海町も難しい状況にあります。3年前にいわゆる「やらせ問題」で、 福島第一原発事故後の最初の再稼動原発となる予定がお流れました。その余波で現在まで国内の原発は1基も稼動していません。 玄海町の経済は40年近く原発に依存しきっており、原発が稼動しない状況は町の経済に影を落としています。 明日からの生活が危うくなるかただっています。単純な問題ではないのです。

 それに既に存在する原発は消し去れない。原発以外の施設ならば単に撤去すればよいし、場合によては別な用途に転用することも出来るかも知れません。 廃棄するにしても40年の時間と多くの費用が掛かります。これもまた簡単な問題ではありません。

 原発を町が受け入れた当時は、一般の日本人の多くは原発に関する知識をほとんど持っていなかったでしょう。国策として夢の発電システムを受け入れ、 町の経済も潤うと言われれば、当時の人が原発を受け入れたのはやむを得なかったと思います。私の父も1号機の建設現場で土木作業員として働いていました。 貧しい中山間地の農家にとって安定した現金収入が得られる貴重な働き場所が町内にあるのは非常に有り難いことだと思います。

 玄海原発1号機稼動開始したのは1975年(昭和50年)10月15日で、私は中学1年生でした。当時の自分には原発の知識は全く有りません。 ましてやその恩恵で自分が生活できていると言う実感も無かったと思います。私自身も建設会社の社員として玄海原発の中で4年間程仕事をしました。 原発から4.8qに住む自分にとっては原発は風景の一部となっていました。原発の中で働く中で原発に関する多少の知識は得ましたが、 玄海は地震も少ないし大丈夫だろうと高を括った状況でした。

 3.11で楽観的な気分は吹き飛びました。原発の中で働いていた当時を思い起こすと、原発内は全て「事故は起こらない」を前提に動いていました。 しかし、「事故は起こる」を福島を思い知らせてくれました。その後ネット等で原発に関する情報を調べるにつけ、 原発とは非常に制御の難しい発電システムであることを知りました。そんなに制御の難しい発電システムを「事故は起こらない」 と言う楽観的な気分で運営できるはずが無い。玄海原発が大きな事故を起こさなかったのは幸運だったに過ぎないと理解しました。

 そうして原発について知識を増やす中で一番大きな問題が高レベル放射性廃棄物最終処分だと知りました。現在、処分へのプロセスは曖昧ですし、 最終処分場すら決まる見込みもありません。そもそも、プレートの端にある日本の地下に最終処分することが妥当なのか疑問です。 そうなれば、原発の周辺で長期間に渡って、地所で中間貯蔵する可能性も発生します。これは管理上非常に問題の多い方法です。

 難しい問題で、現段階で答えを出すことは出来ないのかもしれません。将来にテクノロジーが進展して解決の方法が見つかることを期待して 先送りするしかないのかも知れません。

 しかし、無責任に次世代に押し付けてよい問題でしょうか?
 それはいけないと私は思います。今現在は解決の方法が見えなくても、それが重要な課題であり、それを解決するために政治は真摯な姿勢を 見せるべきだと考えます。そうして、そのための道筋をはっきりと示すべきです。曖昧な言葉で問題を先送りすることだけは政治家にやって 欲しくないと強く要望したい。

 そうして原発に関して国民にもっと関心を持ってもらいたい。原発は原発の立地地域だけの問題ではありません。 高レベル放射性廃棄物最終処分はもちろんですが、電力の問題は国民全体に関わる問題です。現代生活に電気は欠かせなく、 安定した電気供給が出来なければ家庭生活にも多大な影響を与えます。資源の殆どを輸入に頼らなければならない原油の輸入は 国際情勢の影響が受け易く不安定です。再生可能な自然エネルギーも現時点では安定電源とはいえません。本当に身近で差し迫った課題だと認識して、 原発について考えたもらいたいと思います。

 最後に原発について日本国民ひとり一人が当事者意識を持って考えること、自分の子や孫や子孫に自分達の先祖はいい加減だったと言われない方向性を 作り上げることが大事だと、福島の教訓を将来に活かす一番の方法だと考えます。  

 会議の様子  会議の様子
会議の様子1 会議の様子2

次号に続く


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