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連載 第22回 佐賀の発電所から見たエネルギー資源
【前編】石油資源と原子力

執筆者

中村 聡 Nakamura Satoshi 経歴/佐賀大学文化教育学部准教授... ≫詳細



 以前、文化教育学部人間環境過程の学生を連れて見学に行くために、候補となる発電所を探したことがある。佐賀県にある主な発電所は三つで、その一つが玄海原子力発電所。次に唐津火力発電所、そして発電所とは名ばかりで実際には蓄電設備の天山揚水発電所。
 これらの発電所の置かれた状況と今後の役割に焦点を当てて考えていこう。まずは唐津発電所から。


石油が高すぎる!  

 近頃のニュースで小泉元総理が改めて脱原発を主張したと聞くまで、筆者は彼の真意を半分にしか受け止めていなかった。それはともかく、彼を批判する論点のひとつに代替エネルギー提案の不在がある。  
 けれども誰もが知っているように、震災の翌年にも、その翌年に当たる今も、全ての原子炉が停止した状態で電力供給を維持した実績がある。本連載の読者ならご承知だと思うが、現状で原子力発電の替わりを担っているのは、火力発電である。震災直後、古い火力発電所に久方ぶりに火を入れた。そのとき、唐津発電所の動向に注目したが、稼働しなかった。  
 唐津発電所を稼働させない理由のひとつは、長年停止していた発電所を動かす労力だが、もうひとつの理由が興味深い。発電単価が高くて経営を圧迫する。発電単価やら手間暇を気にして稼働する設備を選ぶ余裕があるのはいささか意外ではあるが…。  
 唐津発電所の発電単価が高いのは、石油火力であることに関係する。図1はコスト等検証委員会報告書から抜粋して作成した。主な発電方法の発電単価である。太陽光発電の単価が高いのはよく知られているが、石油火力もそれと同程度だ。実のところ発電単価の試算にはいろいろあって、細かい点を議論すると複雑だが、単純に「石油が高い」点だけ確認したい。


図1 発電単価 コスト等検証委員会報告書より作成 可採年数の眩惑  
 石油の資源量を見積もるのに「可採年数」が利用されてきた。その可採年数について面白い試算を物理学会誌に投稿した。そもそもこのシリーズに寄稿を依頼されたきっかけが、この物理学会誌だった。学会誌本文は掲載から二年経たないと非会員向けのホームページにも載らないが、筆者のホームページにも少し記しているので、ご参照頂ければ幸いである。  
 可採年数は「経済的に採掘できる確認埋蔵量÷年間消費量」で定義される。今のペースで使い続けて何年保つか、と言う指標だから、当然毎年一年ずつ可採年数が減っていくだろう、と予想されたが、その後発表される可採年数は四〇年程度で推移して、実際には減らなかった。その原因は新油田の発見だ。と言うところで多くの人は納得して注意をそらしてしまったが、間もなく新油田の発見は収束する。それでも埋蔵量は増え続けた。結論的には政治的理由のデータ操作と言うことで間違いなさそうなのだが、推測なので内輪話のような扱いだ。石油の適正在庫四〇年説という幾分ふざけた仮説がある。適正在庫に合わせて埋蔵量を調節したとの見立てだ。  
 では本当の埋蔵量で可採年数を計算したらどうなるか? 実はそれでも可採年数は減らない。減らないどころか増えるのだ。定義に付いている「経済的に採掘できる」の条件が効いてきて、石油価格が上昇すると埋蔵量が増える。この十年程度の間に原油価格は数倍に跳ね上がり、価格上昇だけで可採年数が決まってしまう。そのモデル計算が物理学会誌の中身だった。  
 直感とは裏腹に、可採年数の定義には、枯渇が近づいた時に伸びる傾向を内在させている。それが昨今の急激な価格上昇で表面化したのである。とにかく可採年数への我々の認識を改める必要があるわけだ。


石油の未来  
 このような可採年数の性質を嫌って、専門家は最近別の指標を利用することが増えている。石油生産量や消費量の推移に注目してそのピークがいつ訪れるのか、つまり減産に転じる時期に注目する。  
 この新しい指標が信頼できるためには、既に減産に転じた油田のデータと予測を比べるなどのプロセスを経て、予測方法を確率する必要がある。だから昔は信頼度が不明だったが、最近では状況が変わっている。  
 それでは石油生産量の推移は、実際のところどうなっているのか?  
 現状では狭い意味の石油は既に緩やかな減産に転じていて、一方シェールオイルなどの新しい石油を含めた全体はまだピークに達していない。だがこうした新しい石油が経済的に採掘できるために、今の高い石油価格が必要である。  
 実際問題として石油は永久に枯渇しない。当たり前だが枯渇する前に価格が高騰して、使えない資源になり、石油から需要が離れていく。  
 前述のように現在石油が高くて発電にはもう使えない。と言う事は、今がその時、石油から需要が離れる日が訪れたのか?  
 石油は発電以外にも、自動車などの燃料として使われる。現状の価格でもそちらの需要はまだ健在だ。更にプラスチック等の原材料としても使われる。その需要が失われるのは相当先のことかもしれない。今は発電に関する限り耐え難い価格になった、言うなれば初期症状の段階だ。  
 そう言う意味で「今が石油時代最終章の幕開け」と言えそうだ。


原子力は安い?
 この辺で原子力に目を向けよう。図1によれば原子力の発電単価は安価である。それが事故補償でどの程度まで上昇するのか不明、との趣旨で、水色の棒グラフを付け加えてあるが、これは引用元のコスト等検証委員会報告書に準じたもので、分かりやすく矢印や注釈を書き加えたものは筆者だ。  
 けれどもこれで充分なのか、というとそうでもない。図のコストには現在各地の原発で進められている新たな安全対策費用は含まない。新基準前の試算なのだから当然と言えば当然だが、そもそも新基準で安全性が充分なのか疑問も多いことを考えれば、客観的に誰もが納得する安全策というものが想定しにくい。
 同じようなことが放射性廃棄物の処理費用にも言える。最もやっかいな放射性廃棄物であるプルトニウムを利用して発電する「核燃料サイクル」が前提になっていることで、事態は更に複雑化している。プルトニウムを取り出すのにも費用が掛かるから、それで処理費用が要らないというのでもないが、プルトニウムから発電できれば、ライフサイクル全体で見た発電単価の低下が期待できる。
 けれども核燃料サイクルはまだ技術開発途上にある。高速増殖炉「もんじゅ」が目指している技術だが、もんじゅは度重なるトラブルで今も停止中だ。これまた詳しくはホームページに記したが、そもそも実現可能な技術なのか雲行きが怪しい。現に存在しない技術の費用を試算しても信憑性がないわけだ。
 本来であれば、ある程度まで努力して、予想よりも壁が厚いことを知ったなら、撤退作戦が検討されるべきだが、そうすると既存原子炉の発電単価にも影響するし、身動きが取れなくなっている。とまあ筆者は好きに発言しているが、関係者の苦悩が想像される。大学時代の友人が、業界の表面的な宣伝を素直に信じて自分の進路を決め、勉強する内に内情を知って後悔していた。今からでも何とか軌道修正できないかと。
 結局原子力の本当のところの発電単価はよく分からない。不定性を産む要因は全般的に単価を押し上げる性格のものだが、その内のひとつだけ図に書き入れたにすぎない。


地球温暖化の観点  
 原子力は別の観点からも優位性が語られる。図2は電気事業連合会のホームページにある発電量当りの二酸化炭素発生量を抜き出したものだ。一見して分かるように三つの火力発電に対しては圧勝だ。風力や太陽光と比べても幾分勝るものの、ここは前述の問題が解決しないと断定はできない。
 けれども、火力発電を原子力に置き換えることにはもっと致命的な問題がある。再び可採年数を思いだそう。原子力に使うウラン燃料の可採年数は百年程度。そこで「充分だ」と勘違いしてはいけない。


図2 炭酸ガス排出量 電気事業連合会HPより作成
 
 可採年数の定義を再掲すると「経済的に採掘できる確認埋蔵量÷年間消費量」だ。今度は分母が問題である。ウランの消費量は石油よりずっと少ない。そのため埋蔵量に直すと石油よりも少ない勘定になってしまうのだ。石炭は石油よりも埋蔵量が多いし、天然ガスも石油と同程度まで見積もられるから、原子力はそれらの代役の任に堪えられる立場ではない。
 解決策はあるのか、ここでもまた核燃料サイクルが解決策のひとつだ。通常の原子炉はウランの中でも0.7%しか含まれない軽いウランを燃やすのに対して、プルトニウムは99%を占める重いウランを原料にする。けれでも先に述べたように、果たして核燃料サイクルは実現するのやら、という状態だ。
 こうした技術開発途上の原子力が実現されれば、確かに原子力は温暖化への解決策になり得るかもしれない。けれどもこれまでどれ程の努力が重ねられたのか考えれば、それが如何に困難な道程なのか知れる。
 物事には順番がある。実用技術になった後、最初はコストが高く採算がとれない。またシステムも不安定である。そういう時期を通り越して、発電単価を問題にしうる段階に達する。風力や太陽光が既にその段階に達する中で、核燃料サイクルなどの新しい原子力が遅れを取り戻して、更にコスト競争に勝利する可能性は低いと見るのが常識的判断ではなかろうか?


溺死寸前?  
 ここまでの話を象徴して、下の絵のような光景を思い浮かべる。風力や太陽光が本命だ、とは何を意味するのか? それは逆説的に言えば「それよりまともな解決策がない」程に、既存のエネルギー資源が限界に達してきている、そのことの反映である。
 エネルギー問題と喩えて言うなら、溺死寸前のような状況である。この問題は既に人類の首の辺りまで水位が増していて、それでも普通に息ができる「だから大丈夫」と言っているようなものではあるまいか? (揚水発電については23回)


【絵】発電コストレース(著者画)

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