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連載 第19回
原発のグレー・ゾーン




樫澤 秀木 Maskawa Toshihide 経歴/九州大学法学部卒、同博士課程中退。鹿児島大学法文学部助教授を経て、1999年 佐賀大学経済学部助教授、現在同教授。法社会学、環境法を専攻。


 ドイツが脱原発に舵を切ったことはよく知られていますが、その政策を提言した委員会の名称が「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」であったことは余り知られていません。この委員会に、原子力の専門家は参加していません。その代わり、財界人の他、宗教界の指導者や哲学・社会学・経済学の研究者が参加しています。その報告書では次のように述べられています。  「原子力エネルギーの利用やその終結、他のエネルギー生産の形態への切り替え等に関する決定は、すべて、社会による価値決定に基づくものであって、これは技術的あるいは経済的な観点よりも先行しているものである。」  ドイツでは、原発の問題は、原子力の専門家の問題というよりむしろ、倫理や哲学の問題、したがって一般市民の選択の問題とされていることが分かります。福島原発事故を経験した私たち日本の市民も、原発のことをもっとよく知り、考え、決定していかなければならないのです。

 さて、敦賀市長の発言については、「そうかな?」と疑問に思う方が多いでしょう。「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の推定無罪原則は、「たとえ真犯人を取り逃がしたとしても、決して無実の者を罰してはならない」というものです。そこには、真犯人取り逃がしの可能性が増えたとしても社会的に受忍しようという判断があります。これを原発の場合で考えると、それは、「たとえ活断層の見逃しの可能性、原発事故の可能性が大きくなったとしても、社会的に受忍しよう」ということになります。そのような判断を社会が行っているとは、とうてい思われません。
 八木誠電事連会長の発言は、やや慎重です。原子力規制委員会が「活断層の存在の可能性」を指摘したことに、「十分な科学的、技術的根拠が示されていない」と述べているのですから、先ほどの推定無罪原則に当てはめていえば、有罪の立証が不十分だと述べるにとどまっているからです。しかし、電力会社が法的に求められているのは、「活断層の存在の可能性」の指摘を批判することではなく、「活断層の不存在」を立証することです。十分な科学的根拠を示すべきは、電力会社の方なのです。八木電事連会長の発言は、自己の負担を他者に押しつけるものです。  以上のことは図示した方がわかりやすいと思われます。次の図1を見て下さい。





  言うまでもなく、対立点となっているのは、このグレー・ゾーンの部分をどう扱うか、という問題です。言い換えれば、このグレー・ゾーンを、「活断層がないことが、科学的に証明されていないのであるから、危険と見なして、ブラック・ゾーンと同様に扱うのか」、それとも「活断層があることが、科学的に証明されていないのであるから、安全と見なして、ホワイト・ゾーンと同様に扱うのか」という問題です。科学的不確定性を有するグレー・ゾーンを取り扱う際には、どの立場に立つかによって、全く異なった処理方法となります。  これを先の推定無罪との類推で整理すると左の表1のようになります。




 さて、以上のような整理をすると、低線量被曝の問題をどう考えるべきかということも、理解できるようになります。例を示します。環境省が2012年12月に出したハンドブック『放射線の影響を、どう考えればいいですか』では次のように書かれています。「子どもや妊婦の被ばくによる発がんリスクについては、100ミリシーベルト以下の低線量被ばくでは、発がんリスクの明らかな増加を証明することは難しいとされています。しかし、100ミリシーベルト以下の低線量被ばくであっても、住民のみなさまの大きな不安を考慮に入れて、子どもや妊婦に対して優先的に取り組むことが適切です」。ここで注意すべきは、100ミリシーベルト以下では、発がんリスクの増加が科学的に確認されていないと書かれているだけで、発がんリスクが増加しないとは書かれていないことです。要するに、低線量被曝の被害は、科学的にあるとも無いとも言えないグレー・ゾーンなのです。


  そうすると、このグレー・ゾーンをホワイト・ゾーンと考えて対応するか、ブラック・ゾーンと考えて対応するは、大きな違いとなってきます。もし、これをホワイト・ゾーンと考えるのであれば、100ミリシーベルト以下では「本当は心配いらないのであるが、しかし市民が心配するから」対策をとるということになります。




逆に、もしこれをブラック・ゾーンと考えるのであれば、100ミリシーベルト以下でも「心配は残る。したがって、対策をとる」ということになります。立場の違いで、順接と逆接という正反対の接続詞が使われることに注意して下さい。そう考えると、環境省ハンドブックは、「100ミリシーベルト以下の低線量被ばくでは、発がんリスクの明らかな増加はあるとも無いとも確認されていません。したがって100ミリシーベルト以下の低線量被ばくであっても、住民のみなさまの大きな不安を考慮に入れて、発がんリスクがあるものとして対策をとります。」と書くべきではなかったでしょうか。「しかし」という接続詞には、政府が市民をどう見ているかが表れていると言っても過言ではありません(この点については、景浦峡『信頼の条件―原発事故をめぐる言葉』岩波書店(2013)78頁を参照)。



しかも、この低線量被曝の問題には、もう一つの問題があります。  通常、有毒な物質も薄めれば無毒化していきます。実験ではラットを使って、無毒となる数値を求めます。それでは、その数値をそのまま人間に当てはめて良いかというと、そうではありません。実験の不確実性やラットと人間の違い、人間の中でもより強い人と弱い人の違いなどに配慮して、通常100分の1に設定します。日本では農薬の安全基準などをこのようにして決めます。

 ところが、低線量被曝の場合には、このような考え方がとられていません。あたかも100ミリシーベルト以上と未満ではっきり有毒・無毒が分かれるかのような言い方がされています。低線量被曝の場合も、農薬の安全基準と同じような考え方をとれば、100ミリシーベルトの数十分の1が基準となるはずです。

 これまで見てきたように、原発をめぐるグレー・ゾーンの取り扱いは、電力会社や国によって原発を増やす方向で考えられてきました。放射線については、国は、被災者の不安を被災者の目線に立って解消するのではなく、誤解やパニックとみなして軽視する傾向にあります。そしてそれを多くの科学者やマスコミが支えてきたのも事実です。
しかし、今後、私たちは、そのようなごまかしを見破らなければなりません。そのためには、私たちは適切な情報を求め、学習しなければなりません。福島原発事故は、原発の危うさとともに、私たちはもはや、学び続けなければ生きていけない社会にいることも教えてくれたのです。

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